シニア・ソレイケ

昭和生まれ専科

ジョン・ウェイン

2011-07-03 | 映画ーアレコレ
ジョン・ウェイン
戦後の映画全盛時代に物心ついた小生が映画を語るには、松竹、東映の3本立て映画を夢中になって見た頃から話を始めるべきだが、ここは先ずジョンウェインから始めたい。何故かというと、一番古い映画の記憶を思い出そうと脳みその容器(味噌甕?)をガラガラ振っていたら出てきたのがジョン・ウェインの映画なのである。

ジョン・ウェインの日本での最初デビューが「駅馬車」だと聞いたことがあるが、小生の記憶としては彼が潜水夫に扮した「怒涛の果て」のように思う。と言っても、当時は未だ4-5歳。それも洋画好きだった親父に長岡の映画館に連れて行ってもらったのだが、眠くて殆ど覚えておらず、途中の大きな貝に足を挟まれる場面や、(多分)最後の場面で潜水服に水がどんどん流れ込んできたシーンくらいだ。 もしかしたら、「駅馬車」が先で人気が出た後に「怒涛の果て」だったかもしれない。

兎も角、それから随分経った昭和30年代に「駅馬車」がリバイバル(懐かしい響きですね)され、銃声が鳴ってジョン・ウェインが駅馬車を止めるシーンを見たとき、何とも言えぬ懐かしさを覚えた。

まぁ、それはともかくジョン・ウェインの映画はShootistに至るまで殆ど観ている。この時代には丁度日本の時代劇のように、主演、競演、助演にはこと欠かずハリウッドの西部劇は面白かった。その後、いろんな事情で昭和40年代に入ると映画を観る機会は激減したが、今思えば昭和30年代は映画漬けだったような気がする。その話は後日。

ジョン・ウェインの話から少しそれてしまったが、初めてアメリカに出張に来たのが1979年の春で、この頃彼はガンで病床にあり(カーラジオで毎日病状を伝えていた)その年の11月に永眠した。因みに、彼はロスアンゼルスの南にあるオレンジ郡に住んでいたので、同郡の国際空港はジョン・ウェイン空港と名付けられている。私の知人が、以前彼の邸宅を借りて会社のパーティをしたことがあったが、今もできるかどうか分からない。

先日ツアーを取って西部劇の場面に欠かせないモニュメントバレーに行った折、ツアーガイドがジョン・ウェインは意外と背が低いと説明していた。そこでインターネットで彼のBiographを調べてみると、USC(南カリフォルニア大学)Football部に所属しておりそのときの記録で6.1-6.3(191cm以上)となっていた。十分にデカイと思う。

最後に一番好きな彼の映画はどれかと訊かれたら「3人の名付け親」と答えている。

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