元杜重工

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新潟・長野・群馬 鉄道旅行その4 まつりに感動編

2017年10月14日 | 新潟・長野・群馬 鉄道旅行
鉄道の町、新津を堪能し本日の宿へ。


新津15:39>>快速新井行き3372M>>長岡16:25
2015年3月のダイヤ改正で485系の快速「くびき野」が無くなってしまい、代わりに登場した無名の快速です。
車両は資料館に展示されていた115系。大分数が減ってしまいましたね。
加速性能などを考えると停車駅が少ない快速運用が無難なのでしょうか。


長岡駅に到着。
明日の移動も考えて、本日はここ長岡で一泊。

駅前をぶらぶらしていると大通りが交通封鎖され袴姿の行列が。
何かのお祭りでしょうが、訳も分からずついてゆくと、


交差点にステージ。
米俵を積んだ大八車が到着し、藩主に目録が進呈されました。内容は米100俵。


「米百俵まつり」

市のサイトによれば「長岡が誇る「米百俵の精神」をテーマに、秋の収穫祭と併せて誕生したお祭りです」とのこと。
今回が第16回だそうです。

つづいて「米百俵の精神」についての寸劇がステージで始まりました。


陳情する藩士と説き伏せる長岡藩大参事・小林虎三郎

長岡は戊辰戦争によって焼け野原になりました。
その後、三根山藩から支援として米百俵が送られます。これが先ほどの大八車のシーン。
街には今日を生き延びるのでやっとの人がたくさん。藩士達は米百俵を配って飢えを救おうとします。

しかし、藩の方針は米を売って学校を整備するというものでした。
これに藩士たちは猛反発。大参事・小林虎三郎のもとへ訴えに行きます。
ここから寸劇が始まります。

大参事は百俵の米を配っても3日ももたない、それでは何も変わらないと説明します。
「国がおこるのも、まちが栄えるのも、ことごとく人にある。食えないからこそ、学校を建て、人物を養成するのだ。」
学のある人がいれば、そもそも焼け野原にならずに済んだかもしれない。その日暮らしをやめよう。

こうして藩士たちを説得し教育に力を入れ、現在の長岡へ発展したのでした。
長岡出身の山本五十六もこの精神から生まれたのでしょうか。



つづいて大砲のパフォーマンス。写真に空砲がつくった空気のリングが収まりました。


最後に勝どきを会場全員で上げ、武者は出陣して祭りは終わりました。

祭りの存在を知らず、偶然通りかかっただけですが、ちょっと感動してしまいました。
目先にとらわれず、先を見据えて人を育てる。現代でもなかなかできていないことだと思います。

さらに街を歩いて行くと信濃川にやってきました。

英訳はともかくとして標識には復興祈願花火で知られるフェニックスが描かれています。
13年前の10月の爪痕は今も残っているのでしょうか。


ここが長岡の花火大会の会場かな。あの橋はテレビで見たことがある。いつか見に行きたい。


初日はここまで。なんだかんだ歩いたので疲れました。様々なものを見たり知ったりでき濃い一日でした。


帰りに気付いたのですが、駅にこんな横断幕あったの完全にスルーしてた…。

つづく。


***
10月14日は鉄道の日。
当ブログ初のコメントくださった方、ありがとうございました。私も鉄道の将来が楽しみです。


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