元杜重工

*あつめたりつくったり* 過去資料整理中
鉄道・船・マンホールの写真と艦船プラモデル・電子工作も少々

PICでAD変換とPWM制御

2020年07月11日 | 電子工作
雨で外出もできないので久々にマイコン工作。

LEDキャンドル的なものを作ってみました。
スイッチ付けたらヒカルだけでは面白くないので、ボリュームで明るさを調整できるようにしました。

実用性を考えてサイズは最小化。5cm x 4cmくらい。
ボタン電池LR44 x2個で動きます。PIC12F1822使用。



回路はこんな感じ。
部品数が少ないのにちゃんと動くのがPICマイコンの偉いところ。


MPLABのXC8とPICkit3で構築。

◆ピンの設定
TRISA = 0b010000;
ANSELA = 0b010000; // RA4をアナログ入力
PORTA = 0b000000;
WPUA = 0b000000;

◆PWM関連
CCP1CON = 0b00001100 ; // PWM機能を使用する
CCP1SEL = 1; // CCP1/P1A の機能を RA5 に割り当てる
T2CON = 0b00000001 ; // TMR2プリスケーラ値を4倍に設定
CCPR1L = 0 ; // デューティ値は0で初期化
TMR2 = 0 ; // Timer2カウンターを初期化
PR2 = 255 ; // PWMの周期を設定(4MHzなら249=1000Hz)
TMR2ON = 1; // TMR2(PWM)スタート

◆AD変換関連
ADCON0 = 0b00001101; // AN3(RA4)をアナログ チャンネル選択 ADC を有効
ADCON1 = 0b00010000; // 左詰め FOSC/8 V_DDを参照

◆AD変換実行
GO_nDONE = 1;
while(GO_nDONE);
今回は左詰めにして上位8bitだけ参照してchar型の変数に格納して使いました。
i = ADRESH;
これを
CCPR1L = akarusa;       // 大きいほどLEDは暗い
すればほぼ出来上がり。

たったこれだけですが、鈍った半田ごて裁きを取り戻すにはよかったかも。簡単な工作ですが、ちゃんと調光できるので面白いですね。このくらいならマイコンいらなくねとか思うけど、まぁオートパワーオフとか炎のようにゆらゆら点灯とかもプログラム次第ではできるので。

架空艦 航空駆逐艦「日暈」建造

2020年07月03日 | プラモデル
ブログは更新していなかったものの相変わらずへたくそな艦船プラモを造ってました。
 
ハセガワの朝潮型駆逐艦を買ってみたものの、新製品発売により型落ちになった古いキットは手直しが多く、いっそのこと架空艦にしてしまえということで、航空駆逐艦が爆誕!
こちらがベースの駆逐艦峯雲。
 
 
中身はこんな感じ。写真にはないけどXランナー1枚入り。
バリ多め。でもXランナーパーツとの交換でそれっぽく作れはする。
 
 
途中まで組んで塗装したところ。缶スプレーだと楽ちんで筆塗よりもきれい。
ただし使用の際は場所を選ぶ。使用したのはタミヤカラー(ラッカー系です)。
 
実はXランナー使用のためには細工が必要で、船体側は5インチ砲と魚雷の取り付けスペースはピンが立っています。
一方、Xランナーもピンが立っているのでこのままでは取りつかないので船体側のピンの除去しピンバイスで穴あけ。
ちなみに魚雷が旋回しないエラーあり。
忠実に作ろうとするなら艦橋の形状とか色々手直しが必要。
 
 
 
そして完成品がこちら。
 
 
 
改朝潮型航空駆逐艦 日暈(ひがさ)
 
うん、写真がいまいちなのと奇抜さがないので架空艦ぽくないかも。艦載機は零式観測機。
構想を練るのもこれから架空戦記を考えるのも楽しいんじゃ。
 
 
~~~~~~~
 
帝国海軍は水雷戦隊の重要性を確認するとともに航空機による偵察の有効性を認識しつつあった。
しかしながら旗艦となる軽巡洋艦は長良型をはじめ旧式化しつつあり、改装によってカタパルトを設置したものの艦載機は1機のみと満足しないものであった。
複数の艦載機を有する軽巡洋艦は阿賀野型まで待たなければならず、開戦を目前に焦りを感じていた。
 
一方で駆逐艦は朝潮型が建造され完成形に近づいていた。
 
そこで開発されたのが日暈型航空駆逐艦である。
 
開発リソースがひっ迫していたのと短期間で完成させるためベースの朝潮型からの変更点は最小限に抑えられている。
設計側からはせっかくだからと複数の水上機を搭載できる案などもあったが、「駆逐艦の魚雷の射線は8つ以上」と軍令部が頑なであったため、2番・3番砲塔を撤去しカタパルトを設置する単純な改造にとどまった。
実のところ、戦況に応じてカタパルトを撤去し朝潮型に「復元する」ことも考えていたという。
主砲が1基2門に減ってしまった分の火力を補うために1番煙突後部に機銃座を設置している。このことにより防空能力が当時にしては高く、のちに夕雲型で実施された改装の参考とされている。
 
 
朝潮型11,12番艦を変更し、日暈および同型艦月暈として建造された。
このため9,10番艦の霰・霞は陽炎型と編成することとなったのである。
 
ちなみに日暈とは太陽の周りにできる光の環であり白虹ともいわれる。艦隊や船団の護衛、離島防衛といった任務も想定されていたため、ぴったりの名前のようであるが 白虹日を貫く という慣用句もあり賛否あった。
 
 
なんだかんだ大戦中は、小規模な戦隊に編入されあちこち送られ、火力の乏しさから大海戦に投入されることはほとんどなかった。しかし防空能力が買われしばらくすると戦線に投入され戦艦の護衛に着く機会もあった。
とはいえもっぱら大型艦が入港できない港湾で偵察・警備を行ったり、船団護衛に当たる機会が多かったようだ。駆逐艦を使用した輸送作戦にはたびたび参加している。日暈が高速輸送艦として活動していた軽巡洋艦大井と行動した際には、大井艦長が「頼もしい巡洋艦が来たな」と皮肉を込めて言ったとか。
 
比較的長生きした方であったが、日暈は船団護衛中に潜水艦に、月暈は港湾での空襲によって失われた。