歌:小金沢昇司
作詞:麻こよみ:作曲:徳久広司
冷たい噂に 追われるように
ふたりあの町 捨てて来た
どこへ流れる 恋の舟
ごめんよ ごめんよな 俺のわがままを
人目に隠れて つなぐ指
命ひとつの みちづれ川よ
唇 黒髪 おまえのすべて
俺のものだと 抱きしめた
他の誰にも 渡せない
ごめんよ ごめんよな しみる水しぶき
二度とはふるさと 戻れない
ふたり流れる みちづれ川よ
韓信 [シリーズ]
砂漠を行き、草原を駈ける ・関外追放
「我々が支えて差し上げねばならぬ。欣怡よ、
特にお前がだ」
「私に……何ができましょう」
「男というものは、自分を頼ってくれる女が好きな
生き物だ。あの方に甘えろ。そうすることであの方は
生き甲斐を見出すことができる。
お前のために名誉回復のための努力をなさるだろう。
よいな、甘えるのだ」
父親の言ったことが理解できない欣怡ではなかった。
しかし甘えるとはいったいどういうことか。彼女の
頭には具体的な方策が思い浮かばなかった。
「お父様は、ご自分の敦煌を出たいという願望のために、
そのようなことを仰っているのだわ。私を利用して…」
欣怡の口調はやや反抗的なものであった。
見通しが立たない今後の展開に彼女は苛立ち、それを
抑えきれなかったのだろう。
「では、お前はあのお方を見捨てるのか」
「そんなことはありません」
「では、お前にできることが他にあるというのか…
…お前にできることは、名誉が回復されるまであの
お方の心が折れぬよう、支えてやることだ。
関外の地で生きる希望を失えば、あのお方だって
匈奴へ亡命しようと思うかもしれぬ。
皇帝の怒りを買い、妹君を失ったあのお方にとって、
漢への帰属意識を持つ理由は……いまやお前の存在
しかないのだ。
あのお方の将来を案じるのであれば、愛される
存在となれ」
尹慈の言うことは、いちいち正しかった。
欣怡は何をどうすればよいのかわからなかったが、
その言葉に従う意思を表示するしかなかった。
「将軍さまとよくお話をして……その求めるところ
を得たいと思います」
尹慈の言うことは至極もっともなことのように欣怡
には思えたが、よくよく考えてみると腑に落ちない。
要するに父である尹慈は、娘の欣怡に対して「自ら
帯の紐を解いてみせろ」と言っているのである。
彼女は李広利のことを愛していたので、その必要が
あればそうすることに抵抗はなかった。
しかしいま彼に必要なことは、そのようなものでは
ないような気がしたのである。
結果、彼女は李広利に西域の話をねだった。失意の
李広利は言葉少なであったが、次第にその思いを
吐露し始めたのである。
「……楼蘭は小国であり、武力で支配しようとすれば
たやすいことだろう。しかし我々の任務は大宛討伐に
あったので、必要以上に彼らを追い込むことができ
なかった。
その結果、彼らは心服せずに……漢の文化の優位性を
理解することもせず、匈奴を選んだ。
結局彼らには努力して自分たちの生活を向上させよう
という気持ちがない。匈奴の強権的な支配が非文明的
なものであるとわかっているにも関わらず、それを
自ら覆そうとする意識を持たぬのだ」
「姑師国を攻めた際に、私は正直なところ 勝てるかも
しれないと思っていたのだ。しかし彼らは意外にも
戦い慣れていた。
地勢を利用し、裏をかこうとした我々のさらに裏を
かいた戦いぶりで、結果的に我々は撃退されたのだ。
我々は飢えてもいたので、兵たちも充分にその能力を
発揮できたとは言えないが……相手と同等の兵力では
地勢を知り抜いている方が有利であることは明らかだ。
我々が西域の城を陥落させるためには、少なくとも
倍以上の兵力を以て臨まなければならない」
「姑師国での敗北によって堂々と行軍できなくなった
我々は、亀茲や焉耆の城を避けて砂漠を流浪せねば
ならなくなった。
そこで険しい天山山脈を越えて烏孫を頼ろうとした
のだが、その行程はあまりにも過酷で、数千の死傷者
を出してしまった。
やむを得ないことだとは自分でも思うが、兵を失うの
であれば……どうせなら戦いの場で失いたいと思う
ことは事実だ。
砂漠の乾きや高山の冷気でそれを失うことは、私に
とっては単なる損耗でしかない。
しかしこれはひどく冷酷な考え方だと我ながら思う。
兵にとっては命を落とすことに変わりは無いのに、
将軍という立場にたつと、それが有益であったか否か
を考えてしまうのだ」
「烏孫は草原の国で、寒々としていた。その空気が
人の性格にも影響を及ぼすのかと思われるほど、
人々は我々に冷たかった。
しかし烏孫はかつて博望侯張騫どのが友好の礎を築いた
相手で、本来であれば我々を援助すべき存在だ。
にもかかわらず……彼らは冷酷で無関心を装う。
両国友好の象徴として贈られた江都国の公主が…
その存在がないがしろにされている。
私は決して烏孫を許さぬ。公主は王に嫁いだにも
関わらず、王は匈奴の女の家に入り浸っている。
しかも烏孫王はまるで捨てるような扱いで公主を
孫に譲った。
漢が求めているのは公主を王后として迎えることで
あって、孫に降嫁させることではない。烏孫は公主
ばかりでなく、国家としての漢をも軽んじているのだ」
「郁成を攻略する際にも烏孫は兵を出してくれなかった。
我々は単独でこれを攻略せねばならず、苦慮していたが
……公主がご自身の配下を兵として贈ってくれた。
呂仁栄という剛勇の士だ。彼自身の武勇もすさまじいが、
それ以上に彼が携えていた剣が我々を圧倒した。
彼のほかには皇帝陛下しか持つ者がないとされている
『斬馬剣』……。
彼がそれを持つことで、私は千人の援軍を得たような
心強さを感じた。ああ、仁栄……彼を失ったことで
私は心に大きな傷を負った。
この苦しみ、どうしてくれよう」「郁成には煎靡なる
指揮官がいたが、仁栄はそれを追い詰め、我々は勝利
を手にしようとしていた。
しかしそれを覆したのが一頭の汗血馬であり、
我々は皆一様にその事実に驚いたものだった。
……
なぜ最初から成虫として生まれないのか?
昆虫は、子どもの幼虫と大人の成虫とで、大きく
異なります。
例えば美しいチョウも、幼虫の頃は、多くの人が
苦手とするイモムシです。
また、トンボは、幼虫のときには水の中でヤゴと
して過ごします。
セミも、幼虫のときには土の中で過ごしていることを、
多くの人が知っているでしょう。
昆虫の成虫には、羽があるのが大きな特徴です。
成虫は、この羽で移動をします。そして分布を
広げて行くのです。
これに対して、幼虫には羽がありません。
イモムシなどは、早く走ることさえできません。
昆虫の幼虫は、成虫になることが仕事です。成虫に
なるためだけの存在なのです。
それなら、最初から大人(成虫)として産まれて
くればよいのではないでしょうか。
幼虫の時期にどんな意味があるのでしょうか?
子どもたちに人気のカブトムシも、幼虫のときは
イモムシのような姿をしています。
カブトムシといえば、とくに体が大きくて立派なもの
が人気です。でも、ときどき、とても体の小さな
カブトムシも見かけます。
じつは、このカブトムシは、大きなカブトムシより
後に生まれたから小さいわけではないのです。
この小さなカブトムシには、どんなにエサをたくさん
与えても、体が大きくなることはありません。
成虫になってしまうと、その後、どれだけエサを
たくさん食べても、もう大きくなることはないのです。
それでは、どうして体の大きなカブトムシと小さな
カブトムシがいるのでしょうか。
そこに、幼虫の時期の意味が隠されているのです。
カブトムシの体の大きさは、幼虫のときに食べた
エサの量で決まるのです。
とにかく、幼虫であるうちに、たくさん食べることが
大切です。エサをたくさん食べた幼虫が、大きく成長し、
大きなカブトムシとなります。
からだが大きいことは、成虫になって樹液をめぐって
争うときなどに、圧倒的に有利です。
しっかりとした幼虫時代を過ごしたものだけが、
しっかりとした成虫になることができるのです。
イモムシには食べられたくない
たしかに、幼虫は成虫になるためだけの存在です。
ただし、立派な成虫になるためには、立派な幼虫時代
が必要なのです。
チョウなどのイモムシは、葉っぱを食べて大きく
なります。むしゃむしゃと植物の葉っぱを食べるので、
植物側からすれば、大きな迷惑です。
しかし、植物もやられっぱなしではありません。
植物のほうも、イモムシなどの昆虫に食べられない
ようにさまざまな工夫をしているのです。
たとえば、多くの植物は、葉っぱの中に有毒な成分を
作り出します。しかし、これは一時的には効果があっても、
長期的な対策にはなりません。
有毒な成分に対しては、イモムシは毒が効かないような
解毒の仕組みを発達させています。
そのため、植物が有毒な化学物質で身を守っても、
結局イモムシは、平気でむしゃむしゃと葉っぱを
食べてしまうのです。
それでは、どうすればよいのでしょうか。とっておきの
方法があります。
イノコヅチという植物は、イモムシが抵抗できない
ような方法で、身を守ることを考えました。
それは、葉っぱの中に、イモムシの成長を早める成分
を含む、という戦略です。
この葉っぱを食べたイモムシは、ふつうより早く脱皮を
繰り返すようになります。
そして、ふつうの幼虫に比べて葉っぱを十分に食べる
ことなく、早く大人のチョウになってしまうのです。
葉に毒が含まれているのであれば、イモムシも必死に
なって、進化のなかで対抗策をとります。
しかし、イノコヅチの場合は、食べてもちゃんと成長
して大人になれるのですから、イモムシも文句は
ありません。
成長が早まる葉を喜んで食べ、チョウになって飛び
立っていきます。こうして、イノコヅチは、やっかいな
イモムシを早々に追い払ってしまうのです。
小さく育つ成虫の末路
早く成虫になることは、よいことのようにも思えます。
しかし、幼虫であるイモムシにとっては、あくまで
たくさん食べることが仕事です。
たくさん食べて、たくさん栄養をつけることが、
立派なチョウになるために必要なのです。
十分に葉っぱを食べることができずに、早く大人に
なってしまったイモムシは、先ほどのカブトムシの
例と同様、小さな成虫にしかなれません。
このように、しっかりとした子ども時代を過ごすこと
ができず、こぢんまりとした小さな大人になって
しまった成虫には、卵を産む力はありません。
こうしてイノコヅチは、イモムシを退治しているのです。
「早く大人になってしまえ」。
それが、イノコヅチの恐ろしい作戦です。
もしかしたら、私たちは知らず知らずのうちに、子ども
たちに対して同じようなことをしてはいないでしょうか。
もし、大人びた「小さな大人」のような子どもたちが
増えているとしたら、それは何だか恐ろしいことです。
しっかりとした大人になるためには、しっかりと子ども
時代を過ごすことが大切なのです。 ・・・
チンパンジーのワショーは1966年、赤ちゃんの時に
保護されました。
ワショーは、アメリカ手話を教えられた最初の
チンパンジーでした。
ワショーは当時、妊娠していたボランティアの研究者、
カットさんと仲良くなりました。
手話で赤ちゃんについて、質問するのが好きなワショー。
しかし、ある日を境いにカットさんがワショーのもとを訪れ
なくなります。
数週間後、再びワショーの前に姿を現わしたカットさんが、
ワショーに手話で挨拶をしました。
すると、ワショーはカットさんがいなくなってしまったことに
怒っていたのか、カットさんに距離を置くようになりました。
そこでカットさんは、ワショーに謝り、自分がいなくなった
理由をワショーに説明しました。
「あのね、私の赤ちゃんが死んでしまったの」
カットさんをじっと見つめていたワショーは、カットさんの
説明に対し、驚くべき返事をしたのです
ワショーがカットさんに見せた手話のサイン。
それは、涙が落ちているかのように、
彼女の頬に触れるサインでした。
そのサインは「泣く」という意味だったのです。
実はこのとき、ワショーには悲しい経験がありました。
ワショーもカットさんと同じく妊娠し、そして出産後、
2匹の赤ちゃんを失っていたのでした。
これはチンパンジーが、共感する能力を持っている
ことを証明する歴史的瞬間でした。
その後、2007年に42歳で亡くなるまで、周囲に
愛されながら暮らしたワショー。
チンパンジーにも、人と同じような豊かな感情が
あることを教えてくれました。・・・