歌:キム・ヨンジャ
作詞:門谷憲二:作曲:花岡優平
生まれ落ちた生命(いのち)は
滅ぶ運命知ってるから
哀しみを ふるわせて
この身を焦がす
めぐりめぐる季節を
惜しむように愛が欲しくて
たぐり寄せ 抱きしめて
確かめ合って
苦しくて逢いたくて
血を吐く鳥のように
叫びたい 燃え尽きたい
あなたと散りたい
家が貧乏なので、孫を二里(八キロメートル)ほどはなれた
漁師の網元(あみもと)の家へ奉公(ほうこう)に出すことに
なりました。
しかし孫は、奉公に行ったその晩に帰って来て、
「じいさま、おばあさん。おら、網元の家じゃあ、骨がおれて
どうにもなんねえ。
おら、あそこへ奉公するのはいやだ」と、言うのです。
おじいさんとおばあさんは、すっかり困って言いました。
「これ。ただこねるもんでねえ」
「そうだ。何とかしんぼうして、がんばってくれ」
そしてせんべいを食べさせたり、おみやげ持たせたりして、
やっと帰したのですが、あくる日の晩になると、また戻って
きたのです。
こうして孫は毎晩毎晩帰ってきては、おいしい物を食べて、
おみやげを持って帰っていったのです。
ある日の事。
孫が休みをもらったと言って、珍しく昼間に現れました。
そこでおばあさんは、孫に注意をしました。
「なあ、お前。
そんなに家に帰ってばかりしては、網元さまに良く
思われんよ。つらいだろうが、もっとしんぼうせにゃ」
すると孫は、不思議そうな顔をして言いました。
「じいさま、ばあさま。おら、網元さんに奉公してから、
今日、初めて家に帰ってきたんだよ」
「初めて? 何を言う。お前は毎晩の様に、帰ってくる
でねえか」「そしてごちそうたらふく食べて、みやげまで
持って帰るでねえか」
おじいさんとおばあさんの言葉に、孫はびっくりです。
「いんや、いんや、おら、帰って来るのは、今日が初めてだ」
「???」
孫がうそを言う子どもでないことは、おじいさんもおばあさん
もよく知っています。おじいさんもおばあさんも孫も、
不思議そうに首をかしげました。
その夜、誰かが家の戸を叩きました。
おじいさんが戸口に行くと、
「おらだ。今帰ったぞ」と、いつもの孫の声がします。
おじいさんがびっくりして家の中を見ると、孫はおばあさん
と話しをしています。
「こりゃ、たまげた。孫が二人になったぞ。どっちの孫が、
本物じゃろか?」
おじいさんは、ふと考えました。
(そう言えば、夜に来る孫は、すこしおかしなところがあった。
すると外にいる孫は、化け物かもしれんぞ)
おじいさんは、そばにあった天びん棒(てんびんぼう)を持って、
用心しながら戸を開けました。
すると外の孫は、びっくりして言いました。
「じいさま、じいさま。おらは、お前の孫だぞ。そないな物を
持って、どうするんじゃ」
「やかましい! わしの可愛い孫は昼間に来て、奥で
ばあさまと話をしとるわい!」
おじいさんが怒鳴ると、今まで孫の姿をしていたものが
クルリととんぼ返りをして、一匹のタヌキになりました。
そして手を合わせて、「じいさまや。かんにん、かんにん」
と、あやまるのです。
その様子を見たおじいさんは、すっかりタヌキの孫も
可愛くなって、「よしよし。せっかく来たんじゃから、
あがっていけ。ごちそうもあるから、たんと食べて行けや」
「ありがとう」
タヌキは礼を言うと、またクルリととんぼ返りをして孫の
姿になりました。
そして、おじいさんとおばあさんと本当の孫とタヌキの孫は、
みんな仲良く晩ご飯を食べたのでした。 ・…
おしまい
読売テレビの「夕方の顔」として、ニュース番組のキャスター
を務めていた清水健さん(44)。
2015年2月、妻・奈緒さん(当時29歳)を乳がんで亡くしました。
長男の出産から4か月後のことだった。
2年後に会社を辞め、育児をしながら、自身の経験を語る
講演活動を続ける。この春、長男は小学校に入った。
奈緒さんの七回忌となった2月、 初めてママのことを2人
でじっくり語り合った。
コロナ禍の1月下旬、清水さんはオンライン講演会で、
画面の向こうにいる人たちに語りかけた。
妻の妊娠がわかって1か月経たたずにがんが見つかったこと、
3人で生きようと決めたこと……。
メモは用意しない。時には弱音も吐く。その時話したいことを、
ゆっくり丁寧に自分の言葉で伝えていく。
「自分の感情をぶつけるんです。それが正しい講演会のあり方
かはわかりません。でも、その方が伝わるから。
情けない自分も含め、ありのままを見てもらいたいんです」
09年3月、「かんさい情報ネットten!」のキャスターに抜擢
ばってきされ、番組スタイリストの奈緒さんに出会った。
13年5月に結婚。14年4月、子どもを授かる。
だが、同月末、妊婦健診をきっかけに、乳がんが発覚。
悪性度が高く、進行も早いタイプだった。
「医師は治療に専念することを勧めました。でも、妻に迷い
はなく、『産みたい』ときっぱりと言いました。
生まれてくる子と、妻と僕とで生きていくことを2人で決めました」
奈緒さんはすぐに乳がんの切除手術を受け、
14年10月に長男を出産。
しかし、1週間後に腰の痛みを訴える。検査を受けると、
がんが全身に転移していた。翌11月、清水さんは医師から
奈緒さんの余命が1~2か月だと告げられた。
「医師の前で泣きました。あれだけ泣いたのは初めて。
でも、妻に病状は伝えませんでした。生きようとしている
妻には必要ないと思った。
家では涙を見せないよう努めました。だけど、妻は自分の
体のことをわかっていたと思います」
12月、家族3人で沖縄を旅行した。ずっと入院していた
奈緒さんは「ベビーカーを押したい」とせがんだ。
押すというより、もたれかかっているようだった。
でも、 初めてベビーカーを押せた。
翌15年2月11日、死去。
闘病中の日記には「今にも壊れそう」「でも、泣き顔は
見せられない」と書かれていた。
「一度も涙を見せなかった。元々、周りを気遣う性格でしたが、
僕が泣かせないよう強くさせてしまったのかもしれません。
妻が亡くなった時、最初に出た言葉は『ごめんね』でした」
15年2月初めから番組を休んでいた清水さんは、2月19日
に復帰。
闘病中の妻に付き添っていたこと、その妻が亡くなったことを
報告した。 間もなく会社を通じて依頼が届くようになった
講演活動も始めた。
母親の助けを借りながら長男を育てたが、体重は20キロ
落ちた。 「心がボロボロでした。息子を抱っこしてふらついた時、
キャスターを辞める決心をした。
キャスターは僕でなくてもできるかもしれない。だけど、
父親は僕にしかできない。
講演では会場が一緒に涙し、悔しがってくれる。
僕も多くの人が悲しみや悩みを抱えて生きていることを知った。
僕の中で『語り合う』『共感し合う』ことの重みが大きくなりました」
17年1月、読売テレビを退社。小中学校や看護学校、
保険会社など、講演で年100回以上、全国を飛び回った。
コロナ禍で講演は月数回程度に激減し、オンライン
開催も増えた。それでも、気持ちに変わりはない。
「講演を聴いた中学生から、僕のSNSに『死のうと思ったこと
があるが、生きていてよかった』とメッセージが届きました。
つらい思いをした人たちが前を向けるきっかけとなるなら、
伝え続けたい」
長男の幼稚園の運動会や発表会のとき、育児に悩んだとき。
「ママがいたらなあ」と毎日思う。一方で、七回忌法要の後、
初めて長男と「ママがいないこと」をゆっくり話した。
「お風呂に入ったとき、『ちゃんと手を合わせたか』と
切り出しました。息子はうなずいた後、『会いたい』と言い、
2人で『幽霊でもいいから出てきてほしいよな』と
笑い合った。
今も部屋の一角に妻の写真を飾っていて、『おはよう』と
毎日語りかける。
でも、少し気持ちに変化もあって、前は写真を見る度悲しく
なったけど、今は妻がいないことを受け止められている
自分がいる。
時間が前に進んでいる。奈緒も、今の僕と息子を見て、
安心してくれているんじゃないかな」 ・…
3人の方から、相談を受けました。
「2年間、就職活動をしているのですが、まったく採用され
ません。どうしたらいいでしょうか?」という30代男性。
「早く結婚したいのですが、どうしたらいいでしょうか?」
という30代女性。
「末期ガンで余命3ヵ月なのですが、どうしたらいいでしょうか
?」という50代女性。
この3人の質問に対して、私は、同じ回答をしました。
「今、『自分がどういう状況に置かれているのか』について
感想を持つ必要はないし、評価論評はいりません。
今、自分がやるべきことは、自分の目の前にいる人を大事
にすることです。
やるべきことがあったら、 それをやればいい。結婚も就職
も死も、今、目の前にないのだから、考えなくてよいのでは
ありませんか」
ガンであと3ヵ月の命なら、それをどうやって半年、1年と
伸ばそうかを考えるのではなく、3ヵ月の間に「どれだけの
人に喜んでもらえるか」をひたすら考えればいい。
「3ヵ月後に死ぬ」ことに、関心を持たなくていいのです。
日々の一瞬一瞬を楽しんで生きていれば、余命がどれくらい
あろうと、関係がありません。
「結婚すること」ばかり考えている人には、誰も結婚を
申し込みません。
結婚のことしか考えていないので、目の前の人のこと、を
大事にしていないからです。
結婚相手であろうと、なかろうと、目の前にいるすべての
人に対して、「自分のできること」を一所懸命やっていたら、
必ず誰かの目にとまるはずです。
2年間、無職の男性は、「自分に合った仕事がわからない。
どんな仕事を選べばいいのか?」と言い続けていましたが、
仮に私が社長でも、彼を採用することはなかったでしょう。
なぜなら彼は、「まったく笑わない」し、「無表情」だし、
「自分から話しかけない」からです。
もし彼が、笑顔で挨拶をして、みんなにおもしろい話をして、
目の前のやるべきことをやっていたら、彼に興味を持つ
経営者が雇ってくれたかもしれません。
私たちは、過去のことも、未来のことも考える必要はありません。
私たちの人生は、3秒前も、2秒前も、1秒前も過去です。
この瞬間だけが「今」です。
だとすれば、過ぎてしまった過去について考える必要は
ありません。 また、「明日」という日は、永遠に訪れません。
一晩寝て、起きたら「今日」です。
「念」という文字は、「今」の「心」と書きます。
「過去」を悔やむことはなく、「未来」を心配することもなく、
「念を入れて生きる」。
「念」を入れた生き方は、必ず「未来」につながっていくでしょう。
今という瞬間を大切に!! ・・・