貧者の一灯 ブログ

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妄想劇場・森羅万象

2021年06月10日 | 流れ雲のブログ










歌:秋元順子
作詞:作曲:星桂三

枯葉が青葉に蘇る
不思議な恋なの 魔法かしら
悪魔が仕組んだ 出逢いなら
サタンに接吻(くちづけ) してあげる

※命炎(も)やして 溶けまじ合えば
何故にこうも 懐かしいのか
もしかして… 前の世は…
きっとそうよ… そうでなけりゃ
こんなにも こんなにも
愛しい訳がない
あぁー あぁー あぁー※









その頃、私はまだ20代で、徹夜続きでも平気で働ける体力が
ありました。冬のある夜、当直をしていると産院から電話が
かかってきました。

生後3日の赤ちゃんが全身チアノーゼでぐったりと元気がなく、
お 腹なか がぱんぱんに張っているという緊急連絡でした。
私は「救急車で赤ちゃんを送ってください」とお願いしました。

時間の猶予はない しかし、父親は…  

運ばれてきた赤ちゃんはショック状態でした。
すぐに点滴を入れて急速に輸液をしました。

お腹のX線写真を撮影すると、消化管から漏れた空気で
お腹全体が膨れ上がっていました。こういう病気は一つ
しかありません。それは新生児胃破裂です。

原因は不明ですが、生まれて数日 経た った赤ちゃんの
胃が突然裂けてしまう病気です。

赤ちゃんにモニターを付けて、点滴のラインを2本に増やし、
膀胱ぼうこう の中に管を入れて尿がどのくらい出てくるかを
チェックしました。

人間はショック状態に陥ると、尿が出なくなります。
そういう状態では手術はできません。大量に輸液して
尿が出始めたら手術しようと考えたのです。  

血液検査の結果を見ると、赤ちゃんはひどい貧血でした。
裂けた胃から出血しているのです。すかさず輸血も始めました。

やがて、赤ちゃんの血圧は少しずつ上昇し始めました。
あと1時間くらいすれば、手術まで持っていけるかもしれません。
そのとき、赤ちゃんの父親が処置室に現れました。  

父親は赤ちゃんを見ると開口一番、こう叫びました。  

「今すぐ輸血をやめてください!」  何を言われたのか、
私はまったく分かりませんでした。

のんびりしている時間はありませんので、赤ちゃんの状態と
今行っている治療の内容を早口で説明しました。

それでも、父親は輸血をやめろと繰り返し言います。
私はもしやと思い、尋ねました。  

「それは宗教的な理由ですか?」  
父親はゆっくりとうなずきました。

「手術中に輸血はしません!」  輸血をやめれば、
この赤ちゃんは命を失います。

親は宗教に入信しているかもしれませんが、生まれて
3日の赤ちゃんはまだ自分の宗教を持っていないはずです。

それにもかかわらず、親が子どもの輸血を拒否することは
許されるのでしょうか?  私と父親は、処置室でにらみ合い
になりました。

すると、父親はこの病院の内科にいとこの医師がいると
言います。それは好都合です。私はその医師に父親を
説得してもらおうと思い、連絡を入れました。

偶然にも、その医師はまだ帰宅しておらず、院内にいました。
私は「すぐに小児外科病棟に来てください」とお願いしました。  

ところが、内科の医師は処置室に入ってくるなり、
「輸血はすぐにやめてください」と言いました。
その医師も同じ宗教の信者だったのです。

私は 呆あき れるやら、頭に血が上るやらで感情的
になりました。父親と内科医を処置室の外へ出し、
赤ちゃんの治療を続けました。  

尿が1滴、2滴と出たところで、父親に手術承諾書への
サインを求めました。

父親はサインを渋るそぶりを見せましたが、私は「手術中に
輸血はしません!」と大きな声を出しました。そして赤ちゃん
を手術室に運びました。

篤い信仰心と子どもの命を見捨てること…  

術後、赤ちゃんは劇的に回復しました。ただ、重態であること
には変わりありませんので、私は連日病院に泊まり込んで
赤ちゃんの術後管理を続けました。

10日目にはミルクを5ccずつ飲めるようになりました。
新生児室から一般病棟に赤ちゃんを出すと、母親が
赤ちゃんに付き添うようになりました。  

母親はあまり 喋しゃべ らない人で、私との会話もほとんど
ありませんでした。私はただ赤ちゃんの日々の回復の程度
を母親に報告するだけでした。

赤ちゃんの体重は徐々に増え、2か月が経ったところで
退院が決まりました。夫婦から、感謝の言葉は最後まで
ありませんでした。

細かい事情は分かりませんが、親戚にあたる内科の医師は
病院を退職したと 噂うわさ で聞きました。

他科の治療方針に口出しをし、命をつなぐ医療行為を
やめさせようとしたのだから、病院にいられなくなったの
かもしれません。  

私は元々宗教を持たない人間です。ただ、学生時代に
宗教を持つ友人がいて、その人は幸せそうに日々を
生きていました。

しかし、私はこの一件で、宗教というものが分からなく
なってしまいました。  もちろん、宗教にはさまざまなもの
があり、同じ神を信仰していても、教義は異なります。

すべての宗教を否定するのは、当然のことながら間違って
います。しかしながら、患者家族と医師の関係を分断し、
また、医師を退職に追い込む宗教とは一体何だろうと、
このとき私は強い疑問を抱きました。

たとえ、どれだけ信仰心が 篤あつ かろうと、自分の子ども
の命を見捨てかねない考え方をする宗教が本当に人間を
幸福にするのか、私には理解できませんでした。 ・…

author:松永正訓(小児外科医)













なぜいつの時代も人は「デマ」や「フェイクニュース」に
踊らされてしまうのか?

Aさん「堀田先生、新しい本おもしろかったです!」
Bさん「昨日ゼミ生で飲んでたんですけど、
Aが堀田先生の新刊、読んだらおもしろかった、って
言ってましたよ」

あなたが私(堀田)で、この2人がゼミ生だとして、どちらの
情報がより信憑性が高いと思いますか?

Aさんのようにダイレクトで言われても素直に喜びます。
でも、どちらかといえば「また聞き」なのにもかかわらず、
Bさんのほうが信じられると感じる方が多いのでは
ないでしょうか。

このように当事者に言われるよりも、第三者から伝わった
情報のほうが信憑性が高まる効果を「ウィンザー効果」
と言います。

この効果の怖いところは、当事者が真実を訴え、
第三者が間違ったことを言っていても、後者が
信じられてしまうことがあるということです。

ジョークが発端の「豊川信用金庫事件」

1973年、心理学に関係する者なら誰もが知っている
「豊川信用金庫事件」という事件があげられます。

豊川信用金庫に対する取り付け騒ぎ(金融機関への信用
不安から、預金などを引き出そうとするユーザーが殺到して
混乱が起こること)ですが、

ことの発端は、女子高生たちの「信用金庫は(銀行強盗に
襲われるから)危ないよ」というジョークでした。

単に、豊川信用金庫に就職が決まっていた同級生を、友だち
が電車の中で他意なくからかっただけです。

しかし、その会話を聞いた人が「豊川信用金庫は(経営が)
危ない」と、話の内容を勘違いして家族に伝えたことから
発生し、それが瞬く間に噂となって町中に広がりました。

このため、預金者が信用金庫に殺到し、最終的に短期間で
20億円もの預貯金が引き出されるパニックへと広がって
いきました。

ちょっとした話が、どんどん尾ひれをつけながら広がっていき、
豊川信金側が「倒産などの危険性はない」と否定しても、
なかなか信じてもらえませんでした。

このように、検証手段がない話を、自分と利害関係のない
ところでされると、疑う理由がないので、簡単に信じてしまう
ことがあります。

一度広まった情報はなかなか訂正できない さらに、一度
信じられてしまうと、当事者がそれを否定しても効果が
ありません。

「悪い話は広がってほしくないだろうから、それは否定する
だろう」と思われてしまうので、なかなか信じてもらえ
ないのです。

このような大規模な事件になると「交差ネットワークによる
二度聞き効果」という現象も、当事者側に不利に働きます。

この心理効果は、別々の人から同じ噂を聞くと信じやすくなる
というものです。

SNSなどでフェイクニュースが広まりやすいのは、この
心理効果の影響が大きいと言えるでしょう。

このような人間の性質を理解し、武器にしているのが広告
代理店やPR会社です。インフルエンサーによるPRなどは、
その最たるものと言えます。

どれだけ本当に美しい絶景でも、地元の自治体が宣伝する
より、インフルエンサーたちがSNSに映える写真をアップして
くれるほうが、受け手の心に響きやすいのです。

これを逆手に取るのがいわゆるステルス・マーケティングです。

アマゾンなどのネットショップで、商品を購入したユーザーに
「いいレビューを書いてくれたら、代金を返金する」と連絡して
くる業者の存在なども知られています。

当事者が言いたいことを、利害関係のなさそうな第三者に言わ
せることができれば、ウィンザー効果と似たような効果を利用
できるわけです。

そのため、アメリカでは、ステルス・マーケティングを法律で
禁止しています。

一方、日本でも、広告記事やインフルエンサーによる露出に
「PR」などと表記する例が増えてはいますが、法律で禁じられ
ているわけではありません。

いつかは日本でも禁止になるかもしれませんが、法の整備
を待っているあいだにも、ステルス・マーケティングは増殖し、
巧妙化していくでしょう。

そのため、サクラを使ったステルス・マーケティングを、
自力で見抜けるリテラシーを身につけることが、日本の
消費者としては大切になってくるのです。 ・・・







「人を見た目で判断するなかれ」 昔から、よくこう言います。

でも、実際のところ、何も知らない初対面の人を判断するのは、
「見てくれ」、つまり「どんな格好をしているか」になってしまう
ものです。

ある銀行のカウンターの内側に、こんな張り紙がしてある
そうです。 「人を見た目で判断するな! 思わぬ人が、
大金持ち」

それでも、人は、見た目で相手のことを「思い込んで」
しまいます。仕方のないこととはいえ、それが裏目に
出たりして、ヒヤリとすることもあります。

友人の下玉利忠さんがフェイスブツクに、こんなことを
書いていました。ニヤリとして、ほっこりしました。

転載させていただきます。  *     *     

弁当屋で私の後ろに並んだ20代くらいの青年。
だいぶ待たされていたのでさぞかし腹が減ってイライラして
いるだろうと思っているとその若者は私に声をかけてきた。

私の頭の中ではそいつは腹を立てた男…
何を言ってくるのだろうと一瞬気構えたが、彼の口から
出てきた言葉は予想に反して優しいものであった。

「なんかカッコいいっすね。めちゃおしゃれ!
キマってますねー!」

親子くらい歳の離れたこの若者は開口一番私を恥ずかしく
なるくらい褒めたのだ。なんだこの照れ臭さと心地のよさは。。

なんの接点もない男同士、普通なら多少なりともギスギスした
感じになるものだ。 彼はその壁をいとも簡単に乗り越えて
私をモジモジさせたのである。

こういう奴だな、人に好かれる奴というのは。
私はこの青年に人心掌握術というものを学んだ。
ありがとう。おじさんキミのこと好きになっちゃった(笑) 

この日の、下玉利さんのいで立ちは、ジャージのズボンと
黄色のTシャツに、黒の革ジャンを羽織って黒の帽子と
黒のマスク。

まん丸の太~い黒のフレームの眼鏡。それに、首には白い
ヘッドフォンを掛けていたそうです。

ひょっとしたら、年輩の人が見たら、近づきがたい存在に
見えるかも。う~ん、とても私には真似できない。
下玉利さんの視点に共感。

「こういう奴だな、人に好かれる奴というのは」 おそらく私は、
今まで「見てくれ」で人を判断して、損をして来たに違い
ありません。この青年のように、まさしく心のバリアフリーで、
声を掛けられたなら、人生が変わっていたかもしれない
と思ったのでした。

今からでも街角で、若者に声を掛けられるかしらん。
「おい、キミ、キマってるな!」 残念ながらそんな勇気
ないなあ~(笑) ・…