貧者の一灯 ブログ

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貧者の一灯・歌物語

2022年06月29日 | 流れ雲のブログ









   






テレビ東京で8年間、おもに政治問題を取り上げる
報道番組を週1回、土曜日の午前中に生放送で
やってきた。回数にして408回 …

ゲストの総数は500人ぐらいになるだろう。

スタッフが事前に先方と打ち合わせをしたところ
「政治的な話題はNG」という。

先方は封切り直前の映画「アウトレイジ」だけ
を話題にしてほしいということだった。

おもに政治をテーマにする番組なのに政治は
NGだとすると、さてどうしたものかと思案した。 …

ビートたけしは意外なことにかなり歌を歌っている。

代表的なのは「浅草キッド」(作詞作曲:ビートたけし)
「お前と会った仲見世の 煮込みしかないくじら屋で 
夢を語ったチューハイの 泡にはじけた約束は」。

この歌に出てくる「おまえ」と呼びかける相方は
ビートきよしではなく「マーキー(あるいははハーキー)」
と呼ばれていた芸人のこと。

たけしとコンビを組もうとするが、 うまく行かない。
そんな浅草時代の哀歓のにじむ歌だ。

驚くことにこの歌を福山雅治がカヴァーしている。

たけしときよしは初め松鶴屋二郎・次郎でデビュー
したが売れずにコロムビア・ライトに弟子入りし
「空たかし・きよし」で出た。

たけしは名古屋で当時人気絶頂のB&Bの漫才
を見て衝撃を受ける。

それまできよしが書いていた台本を自分で書くことにし、
芸名も「ツービート」に変更、そこから一気に頂点まで
上り詰める。

たけしの魅力はどんな場面でもシャイであまり偉そうに
しないところだが、歌には彼のやさしさが籠っている。

「夜につまずき」(作詞:ビートたけし作曲:泉谷しげる)
「いつもの店と いつもの煙 いつもの相手と いつもの話 
俺は人とは 違うのと 違う同志で 肩を組む」、

なんと泉谷しげるが曲を書いているのである。

この歌の最後のリフレインが哀しい。
「はげしく生きぬく 根性もなく 孤独に死んでく 
勇気もなしに 流れ流れて 流れ流れて 流れ流れて 
今日まで生きてきた 流れ流れて 今日まで生きてきた」。

もっとやさしさでいっぱいなのが「嘲笑」
(作詞:ビートたけし作曲:玉置浩二)

「星を見るのが好きだ 夜空を見て考えるのが 
何より楽しい 百年前の人 千年前の人 
一万年前の人 百万年前の人 
いろんな人が見た星と ぼくらが今見る星と 
ほとんど変わりがない それがうれしい」。

詩人の谷川俊太郎が作詞して坂本龍一が作曲した
というとんでもない歌をたけしは歌っている。

「たかをくくろうか」

「雲のさけめから 陽がさして 小鳥たちが 
空に散らばる きれいな歌が 聞きたいな 
世の中って こんなところだよ たかを くくろうか」。

これらの歌をたけしは恥ずかしそうにしながら歌う。
もちろん、うまいとはいえないが、心にそのやさしさ
が伝わってくる。

一流のコメディアンの素顔は真面目で無口というの
はよくいわれるが、たけしもそうなのだろう。

大島渚監督の映画「戦場のメリークリスマス」で
共演した坂本龍一は、たけしの楽屋を訪ね、
本を山のように積み上げて勉強しているたけしの
姿に驚いたと語っているが、それがおそらく
たけしというか「北野武」の本当の姿なのだろう。

足立区の代議士鴨下一郎が僕に語ったことがある。

「うちの裏の家がペンキ屋さんで、銭湯の絵なども
書いていた。そこの息子がビートたけしなんだよ」。

たけしの次兄の北野大(まさる)さんとテレビ番組で
一緒になったことがある。いつもにこにこしていて
出演者に気をつかう人という印象だった。

いまや「世界の北野武」になってしまったたけし。
「赤信号  みんなで渡れば怖くない」という
あのギャグの面白さを忘れてほしくない。

さまざまなスキャンダルも含めて、これほど
愛される人はいないだろう。












[18歳成人]期待と不安

この春、146年ぶりに成人となる年齢が変わる。
4月1日、改正民法が施行され、18歳以上が
「大人」になるのだ。

若者がより早く社会で活躍する機会が増える一方で、
責任は重くなる。期待と不安が交錯する現場を取材した。

8畳のワンルームがやけに広く感じた。
「この先、どうなるんだろう」。

2018年3月、当時18歳だった愛知県の男性(22)は、
引っ越したばかりのアパートの一室で、冷たいコンビニ
弁当をほおばりながら不安に襲われた。

両親から虐待を受け、小学校5年から児童養護施設
で暮らした。

門限があり窮屈さも感じたが、10人近い仲間がいた。
テーブルに座れば、栄養バランスのとれた温かい
食事も出された。

1人暮らしを始めたのは、大学に進学するため。

ただ、児童福祉法で原則18歳までしか施設にいられ
ないという事情もあった。

アパートの契約は、施設長が保証人になってくれた。

新生活は戸惑いの連続。
自炊の仕方や掃除など分からないことだらけだった。  

一番心配だったのは、お金のことだった。
高校2年で部活を辞め、喫茶店でのアルバイトで
50万円ほどためた。

でも、とても学費には足りず、10以上の給付型の
奨学金に応募し、三つに合格。やっと進学できた。  

入学後も不安はつきず、週3回、和風料理店で
がむしゃらに働いた。

その分、勉強時間は少なくなり、1、2年生の時には
必修科目で落第。奨学金を受け続けるためには、
平均以上の成績を収めなくてはならない。

「もし打ち切られたら……」。

夜、暗い天井を見つめて眠れないこともあった。  
「18歳で施設を出るとき、社会に放り出されたような
孤独を感じた」。男性はそう振り返る。

この春、無事に大学を卒業し、児童養護施設の
職員になる。「子どもと信頼関係を築き、施設を
出た後も寄り添えるようになりたい」と力を込めた。

「大人」の年齢は18歳に引き下げられるが、
支援が必要な若者は多い。

児童養護施設などから巣立った「ケアリーバー」
(社会的養護経験者)はその筆頭だ。  

厚生労働省によると、全国の施設などには
約4万2000人が暮らしている。

児福法により、必要に応じて22歳となる年度末まで
支援を受けられるはずだが、多くは高校卒業と同時に
退所を求められ、その数は年約4000人に上る。

同省の20年度の調査では、過去5年間に施設や
里親家庭を離れた2980人のうち、23%が
「家計は赤字」と回答。

就労者のうち44%は非正規労働だ。

「『18歳はもう大人なんだから』と自立への圧力が
強まるのではないか」。社会福祉法人の職員として、
児童養護施設を出た若者らのケアに取り組む
岐阜県羽島市の水野梨沙さん(29)は、そう心配する。  

水野さん自身も、父親から虐待を受け、施設で育った。
今は施設を出た若者らの相談に乗る「アフターケア
事業所」で働く。  

「進学したいがどんな奨学金があるのか」
「生活が苦しい」。就職や進学、結婚など人生の
様々なタイミングで悩みを抱える若者が訪れる。

じっくり話に耳を傾け、経験に基づいてアドバイスする。
奨学金の申請を手伝ったり、仕事を紹介したりする
こともあり、「姉さん」として頼られている。  

水野さんには、親の代わりとして慕う女性がいる。
同じ法人で働く味岡和子さん(71)だ。
虐待される毎日から救い出し、施設で暮らせる
道を開いてくれた。

それから15年以上、そばで見守ってくれている。
成人式では着付けをし、不安だった長女(4)の
出産にも立ち会ってくれた。

国は、ケアリーバーの状況を改善するため、
児福法を改正して「22歳まで」とする支援の
上限を撤廃する方針だ。

「様々な傷を抱えた若者には、細く長く伴走して
くれる人が必要だ。

支援の必要性は年齢では区切れない」。
水野さんは、そう訴える。

離婚時養育費の期限注意  

成人年齢を18歳に引き下げる改正民法の
付帯決議は、ケアリーバーを含む若者の
自立支援や消費者被害の防止について、
政府に手厚い対策を求めている。

そのうちの一つが、離婚する夫婦間で協議する
子どもの養育費への対応だ。  

養育費は、大学への進学の有無など個別の
事情で取り決められ、改正民法の施行前に
「成年まで」とした場合は、20歳まで支払い
義務を負うと考えられている。  

ただ、厚労省が委託運営する「養育費等相談
支援センター」には、「受け取り期限も18歳まで
になるのか」といった問い合わせが寄せられている。

山崎朋亮センター長は「養育費を取り決めるときは、
例えば『22歳に達した後の3月まで』などと期限を
明確にすることが大切だ」と指摘する。 …