貧者の一灯 ブログ

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貧者の一灯・特別編

2022年06月28日 | 流れ雲のブログ










   









伊賀崎俊さんは大学生だった2003年当時、
駅ホームから転落した男性を救助したものの、
実は耳が聞こえない「聴覚障害」を持っていました。

その行動力には当時から絶賛の声が相次いでいましたが、
伊賀崎俊さんのその後の人生もまさに行動力にあふれる
魅力的なものとなっていました。

それは、2003年9月のことでした。

ホーム転落「俺が助ける」というタイトルで
「読売新聞2004年1月3日付け関西版掲載の記事」で
当時の様子が紹介されています。

助けられてきた人生 22歳の決断

『財貨を失うのはいくらかを失うことだ、
名誉を失うのは多くを失うことだ、
勇気を失うのは、すべてを失うことだ。』
そんな言葉がある。

社会が、人が委縮し、無力感さえ漂う時代。
だからこそ、勇気を奮い起こしたい。

命を賭(と)して立ち向かう、
新たに事を起こす、静かに信念を貫く。
ひるまず、たゆまず歩き続ける、

そんな勇気の物語。…

激しかった雷雨は小雨に変わっていた。
家庭教師のアルバイトからの帰り、
大学生の伊賀崎俊(22)は、千葉県と都心
を結ぶ私鉄・北総線新鎌ヶ谷駅のホームにいた。

2003年9月4日午前零時20分。
5分前に着くはずの電車はまだ来ない。
雷雨によるダイヤの乱れは続いていた。

終わったばかりのサッカー合宿の内容を
携帯メールでやり取りしていると、 男性の
ふらつく影が視界をよぎった。

酔っていた。…
崩れるように1メートル下の線路に落ちた。
ホームには二、三十人いたが動かなかった。
いつ電車のライトが迫ってくるか知れない。

が、意を決して飛び降りた。

男性はレールの間に倒れ動かない。
上体を抱き起こす。

「重い」と感じた時、乗客の一人が降りてきた。
渾身(こんしん)の力でホームに押し上げた。
男性は腕を骨折していた。

翌日、同県印西市の自宅で俊の話に
母の真理子(50)は、「何てことしたの。
非常ベルもあるじゃない」としかった。…

2001年1月に起きたJR新大久保駅の
事故が脳裏をかすめた。

ホームから落ちた人を救おうと二人が飛び降り、
輪禍の犠牲になった。

俊は生まれつき耳が聞こえない。
聴覚障害では最も重い2級だ。

珍しく言い返した。

「人が倒れているのに、ほったらかしにするのか」


俊は京都府八幡市で生まれた。三人兄弟の二男。
生後六か月の1981年冬、「感音性難聴」と診断された。

〈音のない世界〉の宣告。
絶望の中で真理子は息子を抱いて施設に通った。

当時の補聴器は服の下につけても人目についた。
ふびんに思い、外出する時はたまらず外した。

ある日、街で同じ障害を持つ女児を見かけた。
補聴器がワンピースの上にあった。
衣服のすれる音が入らないようにするためだった。

「一体、私は何をしてるんだろう」自分を恥じた。
「強くなろう。この子を育てていくんだ」

「お前の言葉は分からない」…

千葉に転居し、小学校に上がった俊に
「宇宙人」というあだ名が付いた。

会話に入りたくて唇の動きから言葉を追いかけても、
そのスピードについて行けない。

家に入る前に何度悔し涙をぬぐっただろうか。
それでも、教科書をなぞって進み具合を
教えてくれる友人がいた。

しかし、予備校では孤独だった。

受験生に自分の相手をする余裕などない。
社会に出ればもっと厳しい現実がある。
不安が募った。…

大学に入った年、それを察していた母に、
災害救援ボランティアの講習を勧められた。

俊は思った。いろんな人に助けられて生きてきた。
が、いつまでも頼っていていいのか。
せめて自分の身は自分で守りたい。

そして一人で生き抜く力を身につけたい。
講習の合宿に参加した。

人を助けたことはなかった。

言葉が伝わるか、トラブルになったら…と
いう思いが先に立ち、困っている人を
見かけても動けなかった。

ここを乗り越えれば自分の足で立っていける。
障害者にもできるはずだ。

止血法や蘇生(そせい)法を習得し、
「セーフティリーダー」に認定された。
短い期間ではあったが自信を得た。

何があっても対応できる、明日(あした)へ
と踏み出せる気がした。

新鎌ヶ谷駅で転落を目撃した夜、その時が来た。

周囲を見回した。誰も動かない。
「俺(おれ)が行く」決断した。

救助の鉄則を反芻(はんすう)した。
自分の安全を確保して行動に移る。
線路脇に退避所があるのを確かめた。

小学一年からサッカーを続け、
体力には自信があった。…

1,2分あれば。「助けるんだ。大丈夫だ」
自分の声をはっきりと聞いた。

救助から10分後に電車は来た。
名前も告げずに立ち去った。
「俺って、人の命を救えたよな」
確かな手応えをつかんだ。…

半月後、真理子は突然、ホームから転落した
男性の妻から電話を受けた。

「主人に万一のことがあれば、 私たち家族は
路頭に迷うところでした。何とお礼を申し上げていいか」

男性の妻は事故の翌日、誰が助けてくれた
のか駅に尋ねた。

ポスターを張って俊を探し出した駅から、
数日後に連絡があった。

面倒を避け、厄災を恐れて人とかかわろう
としない時代。…

駅員が救助したとばかり思っていた妻は、驚いた。
「事故を知らせる人はいても、 まさか、そんな
人がいるなんて」…

ただ、ただ頭が下がった。
夫が治れば伺いたい。
その前にどうしてもと、電話をかけたのだった。

幾度も幾度も繰り返される感謝の言葉。

真理子は息子をしかったことを悔いた。…
人の役に立ってほしいと願ってきた息子が、
一人の、一家の命を救った。

誇りに思った。
「もし、もしも俊の耳が聞こえたら、
この電話を聞かせてやりたい」

真理子は切実にそう思った。…(敬称略)












― 燃える家と役所の窓口 ― 

火災現場のシーン・ ・・
目の前に火事で燃えている家がある。
消防車が駆けつけて消火を始めた。

その時、ちょうど時間は4時55分だった。

消防士が必死にホースで水を掛けている時、
どこからか終業を知らせるベルが鳴った。

消防士は「我々は公務員ですから、
これで帰ります」といって放水を止めて、
燃える家を後にして帰ってしまった。

火災は消さなければならない。
でも消防士にも個人的な予定もあるし、
子供もお父さんと一緒に夕食をしようと楽しみ
にしている。

公務員なのだから5時に退勤するのは当然だ・・・

役所の窓口のシーン・ ・・
目の前に窓口に駆けつけてきた人がいた。
その役場の窓口には担当の人がいたが、
ちょうどその時、終業を知らせるベルが鳴った。

窓口に来た人 「すみません。
 どうしても証明書がいるので、私の母が・・・」
窓口の人 「すみません。今日は終わりました。
 また明日、来てください」
窓口に来た人 「お願いします。母が・・・母が・・・」
窓口の人   「すみません。終わりましたので」

役所の窓口は5時に終わる。
大学の事務も5時に終わる。

私がある時に、北海道のある博物館で調べ物
をしていたら4時40分に出てくれと言われた。
20分は「後始末」をするのに必要だそうだ。

閉館時間は5時となっていたが。…

私は学生に言う。
「研究というのは消防だろうか?
それとも役所の窓口だろうか?

期限が間に合わない研究でも、
定時になったら帰って良いのだろうか?」

「この社会には専門家と専門家ではない職業の
人がいる。専門家は自分の人生の時間より、
職業の時間を重視する人たちだ。

消防士は専門家だから火事の家を前にしては帰らない。
警察官も専門家だから泥棒を追いかけている時には
業務を終わらない。

医師は手術の途中で5時になったからといって
帰らない。私たち研究者も期限が間に合わない
研究や、実験中には帰らない。

それが我々の任務だ。
もしそれがイヤなら役人になればよい。」

でも、それも本当だろうか?

この社会に専門家ではない人という人はいるのだろうか?
役所の窓口の人と消防士は何が違うのだろうか?
役所に勤める人はみんな自分だけのことを考えて
いる人だろうか?

役所の人で自分たちの仕事の対象がそこに住む
住民と思っている人はいないのだろうか?…


学校今昔物語 ― 優れている ― 

「優れた学生の授業料を免除する」という規定を
定めることになり、その「選考基準」を決める
委員会に出席した。

これまで何回も「その年度の卒業生の主席を決める」、
「優秀な学生を表彰する」という規則を作ったり、
選考に携わってきたが、その度ごとに迷いがあった。

 一体、学校から見て優れた学生や生徒
というのはどういう学生だろうか?

教育基本法には教育の目的としてこうある。

「教育は、人格の完成をめざし、平和的な国家及び
社会の形成者として、真理と正義を愛し、個人の価値
をたつとび、勤労と責任を重んじ、自主的精神に
充ちた心身ともに健康な国民の育成を期して
行われなければならない。」

つまり、私たち教師が学生や生徒を教育する目的は
「学業」ではなく、「人格」であり、仮に学業を磨くこと
が人格を向上させるとしても、教育の成果を判断する
第一は、やはり「人格」であることは間違いない。

でも、現実は違う。

その委員会でも、授業料を免除する学生は、
「成績順に選ぶ」という意見に対して誰も疑い
を持たない。

もともと、学校には成績以外に参考になるデータ
はないと、はじめから決めているのだ。

それはみんなが学校は「学問を教えるところ、
勉強するところ、自分の将来の職業に必要な
知識をつけるところ」で、

人間として立派になろうと思って学校に行く人は
少ないと思っているからである。

そこで、次のように発言してみた。・・・・・

第一に、「あなたが自分を犠牲にして他人
 のためにした事を3つ挙げよ」、

第二に、「あなたは社会に出て、社会に対して
 どういう恩返しをしようと思っているのか」

などを成績より先に問うてはどうか?

もちろん、委員会の人の反応は鈍かった。
確かに必要な事かも知れない。しかし、
成績順なら数値で示すことができるが、
そう言う抽象的な尺度では数値が出せない
と言われ、

さらにもともと奨学金などを出す時の
「優れている」という基準には「人格」などは
入っていないという説もあった。

明治の昔、日本が早く国力を溜め、戦力を高め、
昇っていく時には、少しぐらい人格が低くても
その人が引っ張っていくから全体は豊かになった。

役得やインサイダー取引が許されていたのである。

でも、永久にそれで良いのだろうか?
学校は卒業できれば学力的には満足であり、
その上で、もし授業料を免除する学生や生徒
を選ぶならば、それは「模範となる人」であり、
「成績優秀者」では無いのではないか?

少なくとも私の講義では表面上は物理を教えているが、
実はそれを通じて社会に奉仕する心を持つ人を
育てることを目的としている。 …