シェムリアップ二日目。
この聞き慣れない都市名も、アンコールワットと言い換えれば、通じるだろうか。
そう、カンボジアの国旗にもなっている世界遺産である。
アンコール遺跡群の一部であるため、敷地がクソでかい。
その上、市内からの公共交通機関もないため、運転手をつけて回るのが一般的である。
しかし、私には昨日の借りがある。
そして、チャリのポジションも昨日の段階でしっかり出してある。
(※サドルなどの位置を調整し、固定することを自転車用語でポジションを出すという)
アンコールワットをサイクリングするしかないだろう、これは。
という訳で行ってきた。
例のごとく、遺跡の感想ではなく、遺跡を回っている間に考えたことをここに記す。
教養についてだ。
大人になると、教養の有無が問われる場面が増えてくる。
プレゼンの前置き、得意先との雑談、やんごとなき方々との食事会、近所付き合いだって多分そうだ。
本論と外れた話題で、いかに自分が深みのあって面白い人間かを示せるか。
その武器として、教養は大事だ、と一般的に言われている。
だから本を読みなさいだの、休日も少しは勉強しなさいだの、小学生みたいなことを大人になっても延々言われ続けるわけだ。
これに関して、僕は正直どうでもいいと思っている。
あらゆることに関心を持つことは大切だけれど、付け焼刃の教養で通用する相手など結局その程度だし、自己啓発に走る大人は見ていてあまり格好よくない。
そもそも、本を読め、と言われてから読むようでは遅いのである。
何よりどう見ても教養のなさそうな上司からそんなことを言われたら、それはきっと間違っているに違いないと思うではないか。
一方で、人生を豊かにする為に、教養は非常に有用だ、ということを今日感じた。
例えば、世界遺産をいかに楽しめるか、という観点である。
文化的素養に着目すると、学校で社会を学んできた人達は大きく”地理派”、”歴史派”に分かれると思う。
もちろん両方やってきた人もいる。
僕は圧倒的”地理派”だ。
だから、地形や気候、言語あるいは宗教などについてはよく分かる。
赤い土を見て「これがラトソルか~」と思ったり、生い茂る木の下を歩きながら「熱帯雨林のおかげで案外涼しいぞ」と感じたりする。
「そろそろスコールが来るからホテルで大人しくしておこう」と意思決定に役立てることもできる。
遺跡に行っても、その立地や質感、宗教などを見て、十分楽しむことができる。
これは高校の時、地理を一生懸命学んできた証であり、その見返りであろう。
何だかんだで一番好きだった科目は地理だ。
しかし一方で、歴史については全く分からない。
どこぞの王朝がいつどうして、その後どこかの偉い人が、これを建てて、、、みたいなことが書かれていても「ふーん、そうなのか」程度の感想しか持てない。
「なぜアンコールワットが世界遺産になったのかを、ちゃんと説明してみろ」と言われても、多分できないだろう。
だからマズいとか、だから悔しいとかそういう訳ではないんだけど、なんだかもったいないなと思ったのだ。
「アンコールワット行けたし、楽しかったし、それでオッケー」とはならなくて、「あー、ちゃんと歴史やっとけば、もっと楽しめたのにな」と思ってしまったのだ。
多分、人より少し貪欲なんだろう。
高いフランス料理屋さんに行って、美味い美味いと言って食べているだけではいけない、というのとは、ちょっと似ているようで少し違うだろうか。
いずれにせよ「教養が大切だ」というのは、相手にゴマをすったり、自分の出世のために使ったりする時に有用だ、というような次元の低い話ではない。
最高級のものを味わうための、最低限の準備。
それが教養だと思うのだ。
しばらく修行して、また来ます、アンコールワット。
まずはチケットセンターへ。
さらっと書いてあるが、実はアンコールワットからかなり離れており、行くのに苦労した。
何も考えずアンコールワッへ向かうと、途中で"Ticket Control"と書いたオッサンに止められる。
「俺はTicket Controllerだチケットは?」
「まだ買ってません。ここで買える?」
「ここにはない。あっちだ。遠いぞ」
「あーね」
「片道5kmだぞ。バイクに乗っていけ」
「いや、俺はチャリでいく」
という一幕があり、迷った末にたどり着いた。
わざわざ遠いところで網を張って、捕まえたらタクシーに放り込むという作戦だろう。
合言葉は「I love bicycle」
入口。暑い中、大変人気であった。
中はかなり広い上に、割と自由に色んなところに入れるので、ここで鬼ごっことかしたら楽しそうだな、とどうでもいいことを考えてしまった。
遺跡の端に色んな店が。こういう暮らしに憧れる。
帰り道、野生のサルに遭遇。チャリだとこういうのを拾えるから、良い。
明日はいよいよラピュタへ向かいます。
Q.E.D.