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Thai Paris Cairns Chendeu Siem reap

そういえば、仕事を辞めた

2016-08-21 15:09:18 | 詩とか

フィリピンに来ている。

その水どっかの乾いている土地に送ってやりなよ、というぐらいに雨が降る。

湿度は高くない。飯は普通。柄は、、、まあ良くない。

 (手前と奥のコントラストに、つい足を止めてしまった)

 

フィリピンの話は、また書くとして、仕事を辞めた話について書く。

 

旅とは関係ないのだけれど、まわりに遠慮せず、世に情報を発信できるのは、この場しかないので。

 

正直、うまく説明できる自信はない。

でも、まあ、やってみよう。

 

 

分かりやすさ。

 

 

ひと言で言うと、これに尽きるのではないか。

 

なぜ人は悩むのかというと、何に悩んでいるかが、分からないからである。

なぜ分からないかというと、その問題が分かりにくいからである。

 

もう少し掘り下げよう。

 

が、その前に選択というものについて少し。

 

自転車競技部に入部して半年がたった。半年というと長いのか短いのかはっきりしないが、とりあえず現時点で入部したことに全く後悔はない。他の部活動、サークルを見て、「隣の芝生は青く見える」状態にならないのが自分でも驚きだ。選択には心残りや後悔がつきものだと思っていたが、どうやら悔いのない選択というものも存在するらしい。

 

これは5年ほど前に、部の会誌に投稿するために書いた文章の冒頭である。

自分で引用しておいてなんだが、まさにその通りだと思う(笑)

後悔のない選択というのは、きっと存在する。

言い方を変えれば、チャンスを逃さなかったという手応え。

あるいは、満を持したという安心感。

ごくたまに、であるが、そういった選択が出来る時がある。

 

もちろん、大抵の選択には、後悔がつきものだ。

大学に進学するときですら、少し後悔した。

ケチをつける人は誰もいない大学だったけれど、「あぁこのままレールに乗ってしまうのか」「もう一生、ジョッキーにはなれないのか」と心のどこかで思っていたものだ。

 

おそらく自分の頭でモノを考えることができるようになったのが、高2の後半ぐらいなので、それまではそもそも選択らしい選択をしてこなかった。

 

そういった意味で、「10年やってきた野球を辞めて自転車をやる」と決めたことは、自分にとって初めての”悔いのない選択”だったのかもしれない。

 

そして”悔いのない選択”という観点で見ると、今回が二度目。

仕事を辞めたことに関しても、恐ろしいぐらいに後悔がない。

そして、恐ろしいぐらいに、動機が一度目と同じだ。

 

辞めて間もないので、まだそこまで確信めいたものはないが、5年後10年後に振り返ったときに「あの時の判断はベストだった」「遅すぎず早すぎずちょうど良かった」と言っている予感みたいなものはある。

 

どうしても対外的に説明を求められることが多い話で、その時になんと説明したら良いこことかと悩むことも多かったが、自分なりに答えは出た。

 

到底やりきったとは言えないし、ベストを尽くしたかと問われると、返答に詰まる。

けれども、色々頑張ってみた結果、もっと他に頑張れそうなことが見つかった。

そんな風に表現をすることはできる。少なくともそれぐらいはやった。

 

野球はチームが勝つことが最優先だけど、自転車は自分が勝つことを目指す。

 

野球は何を持って強いというか分からないけど、自転車は一目瞭然。

 

野球は相手あっての試合だけど、自転車は自分との戦いの要素も大きい。

 

野球は楽しようと思えばできるけど、自転車はずっとしんどい。

 

野球は練習が成果に直結しにくいけど、自転車はすぐに結果がでる。

 

野球は集団行動しないといけないけど、自転車はいつどこで練習しようと自由だ。

 

野球は嫌いじゃないけど、自転車は好きになれそうだ。

 

 

 

野球は分かりにくいけど、自転車は分かりやすい。

 

前の仕事は分かりにくいけど、次の仕事は分かりやすい。

 

。。  

 

確かに、生きていくのは、「分かんねえよ、どうなってんだよ」と身悶えしながら、進んでいくことなのかもしれない。

 

けれども、

僕は、

できることなら、

やっぱり、

もっと、

分かりやすく、

生きたい。

 

(全然掘り下げてねえじゃん)

 

Q.E.D.