フィリピンに来ている。
その水どっかの乾いている土地に送ってやりなよ、というぐらいに雨が降る。
湿度は高くない。飯は普通。柄は、、、まあ良くない。
(手前と奥のコントラストに、つい足を止めてしまった)
フィリピンの話は、また書くとして、仕事を辞めた話について書く。
旅とは関係ないのだけれど、まわりに遠慮せず、世に情報を発信できるのは、この場しかないので。
正直、うまく説明できる自信はない。
でも、まあ、やってみよう。
分かりやすさ。
ひと言で言うと、これに尽きるのではないか。
なぜ人は悩むのかというと、何に悩んでいるかが、分からないからである。
なぜ分からないかというと、その問題が分かりにくいからである。
もう少し掘り下げよう。
が、その前に選択というものについて少し。
自転車競技部に入部して半年がたった。半年というと長いのか短いのかはっきりしないが、とりあえず現時点で入部したことに全く後悔はない。他の部活動、サークルを見て、「隣の芝生は青く見える」状態にならないのが自分でも驚きだ。選択には心残りや後悔がつきものだと思っていたが、どうやら悔いのない選択というものも存在するらしい。
これは5年ほど前に、部の会誌に投稿するために書いた文章の冒頭である。
自分で引用しておいてなんだが、まさにその通りだと思う(笑)
後悔のない選択というのは、きっと存在する。
言い方を変えれば、チャンスを逃さなかったという手応え。
あるいは、満を持したという安心感。
ごくたまに、であるが、そういった選択が出来る時がある。
もちろん、大抵の選択には、後悔がつきものだ。
大学に進学するときですら、少し後悔した。
ケチをつける人は誰もいない大学だったけれど、「あぁこのままレールに乗ってしまうのか」「もう一生、ジョッキーにはなれないのか」と心のどこかで思っていたものだ。
おそらく自分の頭でモノを考えることができるようになったのが、高2の後半ぐらいなので、それまではそもそも選択らしい選択をしてこなかった。
そういった意味で、「10年やってきた野球を辞めて自転車をやる」と決めたことは、自分にとって初めての”悔いのない選択”だったのかもしれない。
そして”悔いのない選択”という観点で見ると、今回が二度目。
仕事を辞めたことに関しても、恐ろしいぐらいに後悔がない。
そして、恐ろしいぐらいに、動機が一度目と同じだ。
辞めて間もないので、まだそこまで確信めいたものはないが、5年後10年後に振り返ったときに「あの時の判断はベストだった」「遅すぎず早すぎずちょうど良かった」と言っている予感みたいなものはある。
どうしても対外的に説明を求められることが多い話で、その時になんと説明したら良いこことかと悩むことも多かったが、自分なりに答えは出た。
到底やりきったとは言えないし、ベストを尽くしたかと問われると、返答に詰まる。
けれども、色々頑張ってみた結果、もっと他に頑張れそうなことが見つかった。
そんな風に表現をすることはできる。少なくともそれぐらいはやった。
野球はチームが勝つことが最優先だけど、自転車は自分が勝つことを目指す。
野球は何を持って強いというか分からないけど、自転車は一目瞭然。
野球は相手あっての試合だけど、自転車は自分との戦いの要素も大きい。
野球は楽しようと思えばできるけど、自転車はずっとしんどい。
野球は練習が成果に直結しにくいけど、自転車はすぐに結果がでる。
野球は集団行動しないといけないけど、自転車はいつどこで練習しようと自由だ。
野球は嫌いじゃないけど、自転車は好きになれそうだ。
野球は分かりにくいけど、自転車は分かりやすい。
前の仕事は分かりにくいけど、次の仕事は分かりやすい。
。。
確かに、生きていくのは、「分かんねえよ、どうなってんだよ」と身悶えしながら、進んでいくことなのかもしれない。
けれども、
僕は、
できることなら、
やっぱり、
もっと、
分かりやすく、
生きたい。
(全然掘り下げてねえじゃん)
Q.E.D.