1.萩往還公園
2.東行庵
高杉晋作の遺言によって奇兵隊の陣屋があった吉田の清水山に葬られた高杉晋作の菩提を弔うために、愛人おうのは梅処尼(ばいしょに)となって庵を結び、生涯、晋作の墓を守って暮らしました。 「東行」は晋作の号で、高杉晋作の墓は国指定史跡。
3.長府城下町
●高杉晋作:功山寺挙兵の背景(維新回転の挙兵)
禁門の変⇒正義派が壊滅⇒第1次長州征伐(敗戦)⇒俗論派椋無藤太は、益田親施・福原元・国司親相三家老を切腹させて、幕府へ謝罪そして政敵である周布を自害へと追い込み、正義派の面々を大量に処刑していった。
しかし、この粛清に危機感を募らせた高杉晋作・伊藤俊輔らが元治元年12月15日(1865年1月12日)に功山寺で決起(功山寺挙兵)、諸隊を編成して下関から萩へと進撃し、慶応元年(1865年)1月の絵堂の戦いによって形勢は逆転、潜伏していた桂小五郎が帰国して、長州の藩論を再び、武備恭順・尊王・破約攘夷・倒幕路線に統一するに及び椋梨藤太は失脚、同年2月に岩国藩主・吉川経健を頼って逃亡した。
椋梨藤太は逃亡したものの、津和野藩領内で捕らえられた。萩の野山獄において処刑された。
●203高地の松
5/17萩往還公園、東行庵、長府城下町
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