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09/27奥州日光街道紀行-8日目(宇都宮宿から小山宿:2012.05.22)

2023-09-27 16:21:16 | 旅日記

旧道の上に、国道4号線を整備したせいか?戊辰戦争で破壊されたのか?歴史的遺構をほとんど見出だせませんでした。東京までの距離を表している標識を友として坦々と炎天下を歩行。東京までの残距離は80km以下になったようです。ラスト地点に近い小金井宿で見事に保存されている一里塚を見て安堵しました

◎宇都宮ホテル前から休憩・昼食ポイントまで

 ○宇都宮の街と歴史

宇都宮の歴史は古く、その昔、蝦夷平定のため、はじめてこの地に足を踏み入れた豊城入彦命(とよきいりひこのみこと)が開祖といわれており、これを祀った二荒山神社の門前町として栄え、池沼が多いことから「池辺郷」とも呼ばれていました。
 「宇都宮」の地名は、藤原宗円が二荒山神社の社号「宇都宮」を氏とし、鎌倉幕府の中枢にあって、治政をあげたことに由来するといわれています。

約500年間宇都宮を支配してきた宇都宮氏は、豊臣秀吉に滅ぼされ、近世(江戸時代)には譜代大名の居城となりました。その中でも本多正純(ほんだまさずみ)は、城と城下町の大改造を行い、今日の宇都宮の中心市街地の骨格を作り上げたと言われています。

 ○二荒山神社

 

○奥州街道と日光街道の分岐点(追分):奥州街道方面、手前の後ろ:日光街道

 

○新町のオオケヤキ

 

1988年12月に栃木県天然記念物に指定。推定樹齢800年、樹高43m、根通約8mの大きさは圧巻です。  
◇江戸時代には旅人の目印になったと思われる名木です。戦前までは3本あっの木を残して倒木されました。

 

○蒲生君平碑

 蒲生 君平は、江戸時代後期の儒学者。尊王論者、海防論者。同時代の仙台藩の林子平・上野国の郷士高山彦九郎と共に、「寛政の三奇人」の一人に数えられる。生涯を赤貧と波乱に満ちながら、忠誠義烈の精神を貫いた。

 

○この後、遺構らしきものは見当たらず、国道4号線を坦坦と歩きました。

○昼食兼休憩場所「馬力」(ここにリュックを置き忘れました)

この後、信じれないような失敗をやってしまいました。結果オーライでしたので、恥ずかしながら紹介いたします。
(小山までの 行程の約半分位、来た所で(宇都宮市茂原二丁目)で昼食を取ることにしました。「馬力」という覚えやすい名前のラーメン屋さんでした。このお店の名前を覚えていましたので、後程、助かった次第です。)
 

醤油チャーシューラーメン&餃子を食し、満腹となり再スタートです。時速6km位の歩行スピードで前進します。途中2回程休憩を取りました。2回目の休憩後、立ちあがった時に「リュック」が消えて?いました。サイドバックはあります。神隠しにあったのか?的な感じで、頭が真っ白になりました。

 とにかく過去の休憩地点に戻らねばと、同僚には先行してくれと頼み、来た道を戻ります。約2時間歩行しましたので最低8km位のバックとなります。2km位戻ったところでタクシーを調達する事が出来ました。最初の休憩地点に戻りましたが、有りません。頼みはラーメン屋さんです。104番で電話番号を確認、電話をかけると「大事なものがありますよ」との返事で救われました。

  リュックには(現金、JCBカード2枚、健康保険証を入れていました。現金は分散していましたので何とかなります。ただ、利用限度額の大きいカード、健康保険証を悪利用されたら?紛失届を早く出さねば・・・知らない土地でどうしよう?といった事で頭が真っ白になっていました)
 
 同僚に「あったよ。今どこに?」と電話したところ、「小金井の一里塚で待っている」との返事でしたので、そのままタクシーに乗り、再バックしました。6100円の利用料金を支払いましたが、出なかった事を考えると・・・・・・・」
 同僚には、多大な迷惑を懸けた日となってしまいました。申し訳ありません!!

  ◎昼食後再出発しました→途中でリュックが無いことに気づき「馬力」へ戻ります

◎リュックが無いことに気付いた付近

○小金井の一里塚

  09/27奥州街道紀行-8(宇都宮宿~小山宿)

 

 

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