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10/08長崎街道紀行:7日目(神埼宿から高橋宿 2001.09.29)

2023-10-08 15:20:13 | 旅日記

1.神埼宿から境原宿

直ぐに、順路の目標となる「櫛田神宮」に到着。この前を左折し、神埼橋を渡り又、左折する。264号線を目指し「城原川の土手」を耽々と一直線に南下する。土手の対岸には彼岸花が満開に咲き誇り、時折、雲雀の囀りが聞こえてくる。のどかな旅である。「新宿」でこの土手と別れ、今度は農道を耽々と歩く。神埼宿を出て1時間後、茶店(食事処:更科)に着き、昼食兼休憩をとった。
 「境原宿」へ向かって15分後、「六地蔵」を見つけた。この六地蔵は、佐賀の乱の戦死者の供養のために村民が建てたものらしい。供養者の冥福を祈り、ここを去った。その後、30分程で「境原宿」に到着。近代化の波を強く受けたせいか宿場町の面影は見出せなかった。

2.境原宿から高橋宿(佐賀宿)

やや残念であったが、気を取り直し、佐賀宿の入口となる「構口」を目指し前進する。30分ほど経って「群境石」を見つけた。何と、個人住宅の境界線そのものに立っている。「ここより、東は神埼郡、西は佐嘉群」と記されているいるようだ。30分ほど経ち、前方に「構口」が見えてきた。14時に佐賀宿に到着した。
 この町の街道は昔風に整備されいると聞いているので、楽しみが優先し足が軽くなる。足を踏み入れた途端、そのとおりと思われた。幅一間半の旧道が前方を走っており、「構口橋」「思案橋」「晒橋」等古い地名等が残っている。呉服元町の繁華街の中に「こくらみち」と彫られた「追分石」を見つけた。白山町に入り旧道を歩行する。旧道の側溝の蓋には、絵入りの道しるべが表示されているため、間違いそうにない。また、白山町の家並みは直線上でなくギザギザ状に配置されている。本によると、防衛上の見地からこういう配列をとったと記されていた。
 竜造寺八幡宮前、並びに伊勢神社前を通過し、六座町に入る。この町の西側の端に「日新小学校」があり、その校庭の隅に我国初の「反射炉」が保存されている。元々、佐賀藩は黒田藩と交互に長崎港の警護を司った藩であり、こうした事情から反射炉を利用して大砲製作等にあたったのではと勝手に想像した。反射炉と別れ10分ほどした場所で「八戸の地蔵」に出会った。何とも美しい地蔵群である。それから5分後に目的地の「高橋」に到着した。
 ここ高橋は、佐賀宿への西側の入り口であり、先程、通過した「構口」が東側の出口となる。この間の通過所要時間は1時間30分であった。佐賀宿が如何に大きな宿場町であったかを物語っているようだ。シーボルトの記録によると長さ2里半、幅1里と記されている。又、高橋は昔風の木造作りで近年再構築されたようである。姿は「小倉の常盤橋」そっくりである。どちらが真似をしたのであろうか?と馬鹿なことを考えた。

佐賀発、16時45分の特急「かもめ30号」で帰路についた。佐賀の町は歴史も古く遺構も多い。今回の旅は城下町北側旧道を通り抜けただけである。いつの日かじっくり歴史探訪をしようと思いを馳せ、車中での缶ビールを楽しんだ。

10/08長崎街道紀行-7日目(神崎宿~高橋宿)

 

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