〇東海道歩行時に見れたお城-②:掛川城址
2009年7月に、18日間かけて、東海道(お江戸日本橋~京都三条大橋)を歩行しました。その際、道筋にある、山中城址、掛川城、岡崎城、亀山城が見れました。今回は、掛川城址の模様(7/13)を掲載します。(10日目、島田宿から袋井宿の間にありました。)
〇掛川城址
天正18年(1590)、豊臣秀吉の小田原攻めの後、家康は関東に移封され、旧領には秀吉配下の大名が配された。掛川城には妻・千代による内助の功の逸話で名高い山内一豊が入る。この一節は司馬遼太郎の『功名が辻』で山内一豊とその妻、千代の物語で有名だ。一豊は掛川城を近世城郭として蘇らせ、天守も建てられた。
慶長5年(1600)、上杉景勝討伐軍に加わっていた一豊は石田方の蜂起を受け、いち早く家康に与し掛川城を提供すると申し出たことなどから、関ヶ原の戦いの後に土佐の国主に転封。掛川城主は松平氏、井伊氏などを経て、延享3年(1746)に入封した太田氏が明治まで続いた。
05/13掛川城址
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