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03/05旅日記(萩への旅:萩城址、萩城下町、松下村塾、)

2022-03-05 13:05:46 | 旅日記

2009年6/12~6/13に津和野→萩→山口を旅しました。その時の模様です。今回は、萩の模様を掲載します。

〇萩の模様

◇萩城跡

萩城は慶長9年(1604)に毛利輝元が指月山麓に築城したことから、別名指月城とも呼ばれ、山麓の平城と山頂の山城とを合わせた平山城で、本丸、二の丸、三の丸、詰丸からなっていました。
本丸には高さ14.4mの五層の天守がありましたが、明治7年(1874)に天守、矢倉などの建物は全て解体され、現在は石垣と堀の一部が昔の姿をとどめ、ここ一帯は国の史跡に指定されています。

◇萩城下町

旧萩城の外堀から外側に広がる城下町は、町筋は碁盤目状に区画され、商家をはじめ、中級の武家屋敷や医者の家などが軒を点在していました。現在でも町筋はそのままに残り、往時の面影をとどめています。白壁となまこ壁や黒板塀の美しい町並みが続き、維新の志士ゆかりの地が点在しています。

(高杉晋作誕生地)

(木戸孝允誕生地)

(菊屋家住宅)

◇松下村塾、松陰神社

幕末期に吉田松陰が主宰した私塾。
天保13年(1842)に松陰の叔父である玉木文之進が自宅で私塾を開いたのが始まりで、後に松陰の外伯父にあたる久保五郎左衛門が継承し、子弟の教育にあたりました。そして安政4年(1857)、28歳の松陰がこれを継ぎ、主宰することになりました。
木造瓦葺き平屋建ての50㎡ほどの小舎で、当初からあった8畳の一室と、後に吉田松陰が増築した4畳半一室、3畳二室、土間一坪、中二階付きの部分から成っています。講義室だった8畳の部屋には松陰の石膏像と肖像画、机が置いてあります。 

 

(吉田松陰幽囚の旧宅)

(松陰神社)

 

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