1.小田宿から大町宿
10時20分に「小田宿」に着く。昔の宿場町の面影を残す町並みである。「小田宿広場」「追分石跡」等良く整備されている。「馬頭観音」を右斜め上に仰ぎ、大町へ向かう。「杵島商業高校」下を10時40分に通過、その後約20分で大町の市街地に入る。
途端に「大町カゴカキフェスタ」の案内パネルが目にとまった。一週間後の11月9.10日に行事があるらしい。駕籠を担ぎながらの競争であるらしい。 街道筋のイベントとしては、誠に相応しいものではないか。今回の歩きを一週間遅らせばと思ったが後の祭りであった。
2.大町宿から北方宿
JR佐世保線に沿って耽々と歩く。この周辺には「カササギ」が生息しているとのことであったので、注意しながら歩行したが、見つけることは出来なかった。「福母地蔵」の前を通過し11時50分に「焼米橋」のバス停前に到着。茶屋(食堂かみや)を見つけたので昼食休憩をとった。
12時30分に再出発。「焼米橋」を通過して直ぐ右側に童話の世界にで出来そうな「河童神社」を見つけた。
ここ焼米地区はもう一つの長崎街道である「塩田道」との分岐点でもある。塩田道との追分を通過し、「木ノ元街道」経由で塚崎宿へ向かう。それから10分後、昔の殿様の宿拍場所であった「北方本陣跡」に出会った。「北方宿」である。
3.北方宿から高橋宿
しばらくして、塚崎方面と伊万里方面行きとの分岐点である「追分石」を見つけた。これを直進すると伊万里方面へ、左折すると高橋、塚崎方面への路となる。見過ごしそうな場所にあった。長崎自動車道の高架道をくぐり耽々と歩く。約25分後に高橋に着いた。左折し、左に「火除地蔵」、右に「天満宮」を見て「高橋宿」に向かう。この「高橋」は「牛津」と同様に、有明海をベースにして、船を介した交易場のひとつであり、相当栄えていたようである。
4.高橋宿から塚崎宿
「享保橋」から左折し、直進すると、いよいよ「塚崎宿」となる。
左側遠方に形に特徴がある「御船山」が見える。「えんま坂」を越え耽々と歩くと右側に「諏訪神社」があった。
塚崎宿の入口である。宿の中に入ると「鍵形道路」の説明パネルがあった。町防衛の見地からの作りであるとの説明がなされていた。(木屋瀬宿、佐賀宿にも同様な形が残っていた)本陣は立派に復元整備されている。又、町のメイン通りには長崎街道各宿場町の絵が、宿場毎に「化粧タイル」ではめ込まれている。山家、原田、轟木、中原、・・ ・・・・・・・・・大村、諌早、矢上、日見、長崎と下りの順に並んでいる。姿はカラフルで綺麗なものであった。
その後、武雄温泉の高温温泉で疲れを癒し、16時50分の「みどり22号」で帰路についた。
次回は、「塚崎宿」から「嬉野宿」を目指す事となるが、日帰りは不可能であるので、一泊覚悟で「大村宿」まで行かざるを得ないな?と思いつつ車中で眠り込んでしまった。
長崎街道紀行-10日目(小田宿から塚崎宿)
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