1.杵築城内
1394年の築城以来、600年もの間この町を見下ろしてきた杵築城。模擬天守とはいえ、城跡にそびえる三層の天守閣は在りし日のこの城の姿を偲ばせる。
室町時代初期、木付氏によって八坂川の河口にある台山の上に築かれたこの城は、北は高山川、東は守江湾といった天然の要害に囲まれた城であった。その後の天災、震災などで城も場所や形を変えながら、主もまた前田、杉原、細川氏と入れ替わり、その後の小笠原氏、そして松平氏を最後に江戸の時代も終わりを告げ、杵築城は新たな城主を迎えることなく今に続く。現存するのは一部石垣など。
2.「勘定場の坂」と「北台武家屋敷」
○勘定場の坂
杵築城から北台武家屋敷を結ぶこの坂は、江戸時代、収税や金銭出納の役所があったことからこう呼ばれた。坂の上からお城の方角を眺めると、天守閣が見えてくる。
○磯矢邸
勘定場の坂を上った所に、藩主の休息所として設けられた御用屋敷の「楽寿亭(らくじゅてい)」。その一部、玄関の間、客間の座敷、茶室の三部屋が磯矢邸として現在も残っている。
○藩校の門
「藩校の門」と呼ばれる歴史遺産がそのまま小学校の校門となっている。江戸時代から残る藩校学習館の「藩主御成門」が、現在でも杵築小学校の校門として残されています。
○大原邸
上級武士たちの屋敷跡が並ぶ北台武家屋敷通り。中でも酢屋の坂近くにある大原邸は、家老屋敷として、その暮らし向きや風情が今でも漂う貴重な建築遺産である。
3.「酢屋の坂」と「志保の坂」
○酢屋の坂
北台の武家屋敷と商人の町をつなぐ土塀と石垣が印象的な酢屋の坂は、石畳が非常に美しい坂道。志保屋の坂とはたびたびセットで紹介されるがそれもそのはず。杵築を代表するこの二つの坂は相対していて、志保屋の坂を下りきれば、再び酢屋の坂にさしかかる。
○志保の坂
日本でただ一つといわれる“サンドイッチ型城下町”。どうしてこう呼ぶのか、この坂を歩いてみるとその理由がわかる。
志保屋の坂と酢屋の坂、これら二つの坂は谷町通りを挟み向かいあうように一直線に結ばれている。つまり、杵築城を中心に据え、それぞれの坂の上、南北の高台に屋敷を構える武士たちは、その谷あいで商いをする商人たちの町を挟むように暮らしていたのである。志保屋の坂から振り返るようにして酢屋の坂を眺めてみると、凹凸のある形状がまさに“サンドイッチ”のように見えてくる
○綾部味噌醸造元
坂道の多い杵築の町のなかでも、もっとも美しいと言われるのが北台へと上る「酢屋の坂」。その上り口に店を構えるのが、創業明治33年の「綾部味噌」だ。
4.南台武家屋敷
○中根邸
谷町から志保屋の坂を上るとそこは南台家老丁の入り口。ここに立つ中根邸は杵築藩家老中根氏の隠居宅で、現在は和楽庵と呼ばれる屋敷。
5.商人の町
11/15お城めぐり-1(杵築城&杵築城下町)
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