1.高橋宿(佐賀宿)から牛津宿
10分程歩くと、右手に「別れの松」があった。元、佐賀藩の刑場に向かう罪人を見送った場所らしい。ここから10分 程の西側の場所にあるらしい。「森林公園」前を通過し、刑場跡を探したが見つけることが出来なかった。昔、江戸の将軍拝謁のためこの側を通過した「ケンペル」の記録には「一人の男が、十字架にかけられていた」と記されていたらしい。
その後、「嘉瀬川」を渡りながら、廻りを見渡すと川原には無数のテントが設置され、上空を数十個の「熱気球」が浮かんでいるのが確認された。有名な「バルーン・フェスタ」の開催がまじかに迫っており、その練習のようである。
「嘉瀬川」を渡りきると、「久保田宿」となるらしい。10分程後に「小城」方面との分岐を示す「追分石」を見つけ、標識通りに進む。左側に「香椎神社」が見え、博多の香椎神社と何らかの関係があるのかな?と思いつつ通過する。
そこより、207号線を20分程進むと、進行方向の右手に「祇園社」があった。又、その横には「久保田宿」との標識 があった。左手に茶店(大福ラーメン)を見つけ、昼食兼休憩をとった。この茶店を出て10分後に「牛津宿」に到着。この牛津は、牛津川を利用した、有明海沿岸の中でも有数の「商い・市場」であったらしく、「駅前のパネル」がその事を示しているようだ。この牛津より、旧道が復活し昔風にみえる町並みが現れた。
2.牛津宿から小田宿
このひっそりとした町並みを通過し、牛津川にかかる「六間橋」「砥川橋」を渡り「小田宿」を目指す。10分程後、34号線と合流し、車とお友達になり、騒音と排気ガスを浴び40分ほど歩くことになった。
「砥川小学校」前で、旧道に入りのんびりと静かな場所を歩けるようになった。15分程静かな時間を過ごすものの
又、34号線と合流し、少々きが滅入る。地図を見るとこの付近に「カンカン石」があると記されている。34号線進行方向右手の丘にその場所を見つけた。そこに立っている説明パネルによると、この場所の岩石には磁鉄鉱を含んでおり、叩くと「カンカンと鳴る」と書かれています。足元の小石を拾い上げ、そこら中を叩いて回る。その度に「カーンカーン」と鳴るではないか。なるほどそれで「カンカン石」かと感心した。、
その後、「小田宿」の入口にあたる「JR肥前山口駅」に到着。時計を見ると、15時を示している。曇天となってきたので無理せずに帰ろうと15時4分発の鳥栖駅行きに駆け込み、佐賀で「特急ミドリ」に乗り継ぎ帰路に着いた。久しぶりに落ち着いた時間を過ごせた事に喜びを感じた。
10/09長崎街道紀行-8日目(高橋宿~小田宿)
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