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10/06長崎街道紀行:5日目(山家宿から轟木宿2001.09.22)

2023-10-06 15:02:33 | 旅日記

1.山家宿から原田宿

前回、残した山家宿の史跡めぐりを開始。駅より5分程歩行すると、「群屋跡地」の標識があり、中には入ってみる。建造物は、やや朽ち果てた状況に見えるが、昔のお役所らしく堂々とした、たたずまいである。そこから1分程度の所に「本陣跡地」が見つかった。翌日は、難所「冷水越え」である事を考えれば、ここに宿泊された殿さま達は早く就寝されたであろうか?とくだらない想像をしてしまった。
 本陣跡地を目の前に左折し、右サイドに「恵比須石神」、「敬士義塾跡」等の史跡を確認しつつ、「原田宿」へ向かう。25分程歩行すると、国道200号線とぶつかり、又、排気ガスとのお付き合いかと少々木が滅入ってしまった。20分程度で、「宝満川」に架かる「下見橋」に到着。あまりにも美しい川に感動し、下流に狙いをつけシャッターを押す。その後、筑紫野バイパスとぶつかるが、並行している旧道に入り、しばらくすると、「筑紫神社」の裏側に到着。表側に廻る。
 「筑紫神社」は筑紫大明神といわれるように由緒ある大神社のようである。なお、石段から下を見下ろすと「原田宿」の町並みが直線上に走っている姿が見えた。燈篭歩道等人工的に改装されているが、昔の大きな宿場町の面影は残されているようだ。宿場案内を見ると、昔、「島原の乱」の折り、鎮圧に出向いてきた「松平」の殿様が、宿泊されたところと記載されていた。

 

2.原田宿から轟木宿 

 「原田宿」を出、「田代宿」を目指す。旧道は近年の開発のため消滅しており、少々迷い気味となったが、3号線と並行する旧道に合流した。「三国坂(筑前、筑後、肥前の境界点)」を目指し約40分耽々と歩行した。
 温泉ランドのある「アクオフォーレ」前に、「国境石」をみつけた。「この路より、筑前領である」と彫り込んである。又、「アクオフォーレ」の左側には、「古往還」呼ばれる古道が南へ走っている。
 これより3号線に再び戻り、「けやき台」の前を通り、基山へ向かう。30分程後、佐賀県基山の旧道に入る。
この旧道には「長崎街道の標識」が沢山設置されており、まさに街道を旅しているという気になる。
 史跡は見出せないまま耽々と歩行していると、鳥栖インターチャンジのガード下が見えてきた。ああ、もう「田代宿」だと元気がみなぎる。14時15分にガード下をくぐり、田代宿に到着。古い町並みである。「高札場」「本陣跡」等を横目に見て歩行していると、なにやらサロンパスの匂いがしてくる。横を見れば、それもそのはず、「久光 製薬」の美しい工場が真横にあるではないか?古いものと新しいものが混在しているも、なんとも見事に調和している。さらに15分程歩くと、見事な「追分石」に遭遇した。「くるめ追分石」と称され、肥前路と筑後路の分岐点を表すらしい。又、しばらくすると、「轟木宿への標識」が目に入った。もう少しで本日の目的地に到達
すると思うとさらに元気が漲った。15時15分に「轟木宿」の入り口である鳥栖市本町に到着した。

久しぶりの「旅」に満足し、鳥栖発15時23分の特急「有明」で折尾に向かう。これまでの帰路は、筑豊回りであり、随分時間を要したが、一時間で到着するので有り難い。明日は「神埼宿」を目指そうと、車中で買った缶ビールをいっきに飲み干した。

10/06長崎街道紀行-5日目(山家宿~轟宿)

 



 

 

 

 

 


 

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