赤間宿の模様
一時間程歩き、原町交差点を右折した途端、古き懐かしさを残す町並みに出会いました。町並みには、「唐津街道原町」と書かれた木製の「辻行灯」が並んでいます。
ここは福岡と唐津の大名が参勤交代する時に通った道で、赤間宿と畦町宿の中間に位置し、明治から大正にかけても様々な商店が建ち並び大変な振わいだったそうです。旧家を利用した古美術商等個性的な店がありました。
大穂町の「唐津街道標識」を見て更に進みますと「太閤水」の標識のある井戸に出会いました。
この井戸は、太閤が島津征伐の途中に、この清水でのどをうるおしたと言われており、地元では「太閤水」と呼んでいます。
黒田藩は参勤交代の際に赤間宿と青柳宿を指定していましたが、宿場間が約4里と遠すぎるということで、新たに形成されたのが畦町宿です。畦町宿は、宿泊のための宿場ではなく昼食や休憩が目的だったので、本陣や脇本陣などはなく、庄屋宅や寺を利用していたらしい。県道からはずれた南側を走る旧道は、車の通行がほとんどなくてのんびりと散策できます。
10/20唐津街道紀行-3日目(赤間宿~畔町宿)
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