1.袋井宿から見附宿
県道413号線に合流し、しばらくすると「木原一里塚」があり、その北の神社辺りは「木原畷」の古戦場であったそうだ。写真では見難いですが中心辺りに家康の腰掛け石があります。
(1572年、鷲巣の久野城を攻めた竹田信玄は、ここ木原に陣を張り、浜松城を守る徳川家康の偵察隊と衝突いたしました。この戦いが、世にいう「木原畷」の戦いで、「三方ケ原の戦い」の前哨戦とも言われているようです)
それから1号線を耽々と歩き、1時間程で「見附宿」に着きました。
(見附は平安末期に国府が、南北朝時代には守護職が置かれた遠江国の中心で、鎌倉時代には、新田義貞軍と足利尊氏軍が戦った場所でもあるそうです。)
2.天竜川を渡り浜松宿へ
見附宿を通過し、しばらくすると「暴れ天竜との異名を持つ」天竜川に出会いました。大井川以上の川幅がありそうです。「新天竜川橋」を歩行しました。2/3以上を進行したところに江戸より250kmの標識があり、記念写真を撮りました。半分以上歩いて来た 事になります。橋を渡り切るのに15分かかりました。(大井川橋は13分)
左折し、浜松までの旧道を通ります。途中立派な屋敷が目につきました。「金原明全生家」とあります。
(明全は明治・大正期の実業家。植林や治水事業に私財を投入し、生涯をかけて取り組んだそうです。)
所々、街道特有の松林が点在しています。昼食時となりましたので休憩を取る事になりました。メニューはこれまで「ソバ」に特化?していましたが、ビールとともにランチを戴きお腹が一杯になりました。
●江戸より250kmポイント
3.浜松宿から舞阪宿
「浜松駅」に所要があり、旧道を外れたため「高札場跡」「本陣跡」等の史跡に出会うことは出来ませんでした。
(浜松城の歴代の城主は、浜松城下の整備に努め、商人に塩や魚の専売権を与える等、商業の発展に力を注ぎ、宿場も活況を呈したようです。)
「舞阪宿」までは未だ11km残っています。見るべきものもなく耽々と歩行いたします。2時間程経って、素晴らしい「松並木」に遭遇いたしました。(700m、330本、規模の松並木でした)
炎天下、33km歩き、疲れ切った我々を、土地の親切な奥さんが民宿まで誘導してくれました。
●素晴らしい松並木
07/31東海道紀行-12(袋井宿~舞阪宿)
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