〇三日目:猪膝宿から千手宿へ
早朝、JR折尾駅を出発し、JR新飯塚駅経由でJR田川後藤寺駅に到着、タクシーで前回到着点の「猪膝宿」へ向かう。途中、「位登古墳」に立ち寄る。田川地方最大の前方後円墳で4-5世紀の築造と言われています。
出発点の猪膝宿は炭坑により伊田、後藤寺が栄える前までは、田川地域唯一の商業地で宿場と共に繁栄し、参勤交代で大名たちもここを利用したらしい。「漆喰造りの古い醤油屋」に見られるように江戸時代の面影が残っていました。又、日本武尊との関係伝説がある「太刀洗井戸」「白鳥神社」等の遺構がありました。
右手に「金国山」を見て進みますと、豊前国と筑前国の境を示す「国境石」があり、これを越すと嘉麻市に入りました。山田の町を通過し、大隈宿へ向かう途中に「為朝岩」がありました。源為朝が九州に追われ、嘉麻市の馬見神社にお参りする時、休憩した処として名づけられたようです。
大隈峠の付近に「愛宕神社参道」「加藤清正神社」がありました。「黒隅密寺」を通過すると、「大隈宿」に到着です。「西宮大神宮」の辺りに、西構口が、あったようです。大隈宿は益冨城主:母里氏が原形を作り、宿場、商業の町として繁栄していたようです。
昔に還ったような、「芥田旧道」を歩行し、322号線と合流した処(千手宿手)で本日の歩行を終了しました。
出発点の猪膝宿は炭坑により伊田、後藤寺が栄える前までは、田川地域唯一の商業地で宿場と共に繁栄し、参勤交代で大名たちもここを利用したらしい。「漆喰造りの古い醤油屋」に見られるように江戸時代の面影が残っていました。又、日本武尊との関係伝説がある「太刀洗井戸」「白鳥神社」等の遺構がありました。
右手に「金国山」を見て進みますと、豊前国と筑前国の境を示す「国境石」があり、これを越すと嘉麻市に入りました。山田の町を通過し、大隈宿へ向かう途中に「為朝岩」がありました。源為朝が九州に追われ、嘉麻市の馬見神社にお参りする時、休憩した処として名づけられたようです。
大隈峠の付近に「愛宕神社参道」「加藤清正神社」がありました。「黒隅密寺」を通過すると、「大隈宿」に到着です。「西宮大神宮」の辺りに、西構口が、あったようです。大隈宿は益冨城主:母里氏が原形を作り、宿場、商業の町として繁栄していたようです。
昔に還ったような、「芥田旧道」を歩行し、322号線と合流した処(千手宿手)で本日の歩行を終了しました。
05/07秋月街道紀行-3(猪膝宿~千手宿)
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