○長府の町の歴史
城下町長府には、西暦一九三年、仲哀天皇、神功皇后により豊浦の宮が築かれた由来から、忌宮神社が創建され、数々の神事が継承されています。大化二年(六四六)には、長門の国府として長府と呼ばれるように 大化二年(六四六)には、長門の国府として長府と呼ばれるようになり、その後長門鋳銭司や国分寺が設置され繁栄を続けてきましたが中世には長門守護所、長門探題も設けられ、政治的、軍事的拠点として重要な役割を果たしてきました。慶長五年(一六〇〇)、関ヶ原の役後、毛利秀元(元就の孫)が長府五万石の城として入府以来、武家屋敷の町として平和な藩政時代を過してきましたが、幕末に至り俄然、倒幕の拠点の地となりました。
○乃木さん通り
○忌宮神社(いみのみやじんしゃ)
長門国二の宮で、仲哀天皇・神功皇后が西国平定の折、ここに豊浦宮を建て、7年間滞在したといわれています。
○乃木神社へ
○乃木神社
軍人として広くその名を知られ、明治天皇大葬の日に殉死した乃木希典(まれすけ)を文武両道の神として祭り、1920年(大正9年)に創建された神社です。境内には乃木夫妻の銅像や乃木家が16年間過ごした旧宅、また乃木夫妻の遺品や遺墨などが展示されている宝物館があります
○御神水
○乃木将軍夫婦像
○さざれ石
○203高地の松
○乃木旧邸
左:父 希次 右:母 寿子 、希典
○梅井
○横枕小路
乃木神社を出て、右横の横枕小路に入ります。樹葉に覆われた練塀のある小路です。
○武家屋敷群
横枕小路を出て左に曲がると、整然とした武家屋敷群が並ぶ道に出ます。
○古江小路
城下町長府の中でも、最も城下町の面影を残す古江小路、この城下町長府の武家屋敷は合戦に備えての防衛的配慮がなされており、土塀は防壁として築かれています。そのため、町筋は必ずしも碁盤の目でなく、T字形になった部分も多く、わざと迷路のように作られた所もありました。
○長府毛利邸
明治36年(1903)長府毛利家第14代藩主毛利元敏(もととし)によって建てられた邸宅です。
明治天皇の行在所(あんざいしょ)としても使われ、現在もその部屋が残されております。また、邸内の池泉回遊式庭園は石灯篭、楓、池など絶妙な配置により、安らぎの空間を演出しています。紅葉の名所でもあります。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます