立会川駅を出て、直ぐ「涙橋」を発見、「鈴ケ森刑場」へ送られる罪人を見送る別れの場所であったそうです。みせしめのために、あえて人通りの多い街道筋に刑場が置かれたそうです。「首洗い井戸」など物騒なものがありました。
1.鈴ケ森刑場跡
(涙橋)
(鈴ケ森刑場跡)
この後、旧道は消え、第一京浜国道沿いを5人で耽々と歩きます。大森海岸駅の少し先に、東海道往来の旅人に利用された「磐井の井戸」を見つけました。この井戸には、心が正しければ清水、邪心があれば塩水という言い伝えがあるそうです。
2.磐井の井戸
その後、蒲田駅付近のコーヒショップで一回目の休憩。それから1時間の歩行で「六郷橋」に出ました。この六郷橋は「千住」「両国」と並ぶ”江戸の三大大橋”と呼ばれるほど立派なものであったそうです。この橋を渡ると「川崎宿」です。
3.京浜国道と六郷橋
「田中本陣跡」、「佐藤本陣跡」がありました。この辺りが、当時の川崎宿の中心、新宿であったそうです。
「六郷大橋」が洪水のたびに流されるため、「本陣」「問屋」「名主」が渡し船を始め、船賃を宿場収入としたことから、宿は繁栄したそうです。ここで、昼食をとることにしました。「吉野家」へ入り、それぞれ好みのメニューを注文、私は、うな丼とビールを頂きました。
4.川崎宿
H君は所要があるという事で、離脱。4人での歩行となりました。鶴見で江戸から五つ目の一里塚で
ある「市場村一里塚」をみて鶴見大橋を渡り、旧道に出ました。魚屋が並ぶ魚河岸通りには多少旧街道の雰囲気が残っています。
途中、民家の塀に「生麦事件発生の現場」の表示が掲げられていました。キリンビール工場横で国道と合流する辺りに、「生麦事件の碑」がありました。それから、炎天下を一時間程歩き、宿泊先の「さくら旅館」に着きました。洗濯を女将さんに頼み、外出、四人で中華料理に舌づつみを打ちながら、本日の反省会を行いました。
5.「生麦事件」遺跡
07/21東海道紀行-3(品川宿~神奈川宿)
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