街道写真喪失のため、紀行文のみとなります。代わりに、写真は途中にある「吉野ケ里遺跡」の模様を
掲載します。
直ぐに、起点の「轟木宿(本町)」より、神埼宿を目指し歩きだす。轟木宿の町並みは、ひっそりとして古い建物が多い。ここは本来鍋島藩の領地であるものの、ある理由で一部を対馬藩が領有したと本に書かれている。そのせいか路地等が複雑なようである。
路を間違ったかと思ったが、順路の目印である「朝日山公園」下の記念碑に到達し、安堵した。この辺りは緑豊かな所で、折からの日差しでまぶしい中を峠へ向かい歩行していくと、左右に素晴らしいグリーンが目に入ってきた。「ブリジストン・カントリークラブ」の標識がなされている。グリーンの中に木立を配し、如何にも戦略的なコースであるようだ。何時かチャレンジしようと誓い、峠を下り34号線を横切り旧道に入った途端、「六地蔵」に出会った。そこからは、旧道の風情を残した情景がしばらくの間続き、私のの思いをかなえてくれた。30分程経ち、再び34号線に合流し、「競馬場前」までつまらない歩行が続く。競馬場前から旧道にいるも20分程度で又、34号線とお友達である。
「北茂安町白石」でやっと「中原宿」に到着した。12時となっていたので、休憩(昼食)をとることにした。二日間の連続歩行であったので、アミノサン補給をと思い、直ぐ側にあったステーキハウスで「サーロインステーキ」を注文し、空腹を満たした。休憩中に神埼に居る従弟に電話してみたが、出かけているということで、今日は会えそうにもない。前もっての連絡が必要とあらためて悟った。
「中原宿」は、小規模であるが、各々の屋敷の規模は大きいように見える。燦々とした陽光に照らされた屋敷内の緑が眩しいように映えている。町外れに石門付の大きな屋敷が目についた。
背振山塊を右手に見て、歩行していくと中原宿外れで「地蔵堂(43番札所)」に出会った。これより15分程で又34号線と合流し、「上峰町切り通し」を通り久留米分岐点まで約30分耽々と歩行する。この間、史跡らしきものは全く見出せなかった。
久留米分岐より右折し、「目達原商店街」に入り、直進すると「祇園社」にぶつかる。この周りの建物は相当に古いもながあり、歴史の古さを感じた。ここで残りの行程を調べた。直進すると、34号線と出会うが、横切ると旧道に入り、約1時間半で神埼宿に着くようである。ともかもう直ぐ神埼宿に到着する。
〇吉野ヶ里遺跡の模様
10/07長崎街道紀行-6日目(轟宿~神崎宿、吉野ケ里遺跡)
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