1.水口宿から石部宿を目指します
「土山宿」と同様に古い町並が形成されています。地域の町並の整備に対する考え方も「関宿」「土山宿」と同じではないか?と思われます。「水口宿」には、石田三成が初めて一国一城の主となったとされる記念すべき「水口古城(4万石)」が有り、現在は丘陵公園となっているようです。又、家康をはじめ徳川将軍は、しばしばこの地で宿泊し、家光上洛の際は、宿泊所としての御茶屋が建てられ、この「将軍家お茶屋」は水口藩の成立とともに水口城となり、宿場町は城下町として賑わったようです。
「五十鈴神社」の前に「一里塚」があり、ここの辺りが西見附跡、ここから街道は、真っ直ぐに「横田の渡し」へと向かいます。「横田の渡し」の手前の「北脇縄手の松並木」は素晴らしいものでした。「野洲川」にかかる「横田橋」を渡り、「JR三雲駅」を過ぎると、草津線路と併行して西へ向います。天井川となっている「大沙川や由良川の隧道」をくぐりながら進みます。その先の落合川を渡ると、「石部宿の東口跡」です。(「京立ち石部泊り」と言われ、京都から江戸へ向う旅人が最初に泊るのが、この「石部宿」だったそうです。)
2.石部宿から草津宿
「石部宿」は、土山、水口同様、旧街道の面影が残る宿場のようですが、本陣跡の遺構はありませんでした。しかし、見通しのきかない鍵曲がりの道、連子格子等の古い町屋が軒を連ね、見ごたえは充分でした。右手に、「近江富士(三上山)」を眺めながら、「草津宿」を目指します。
草津は、古来水陸交通の結節点で、東海道と中山道が分岐する要衝として中世後期に宿が成立したそうです。「追分」を正面に見て、左側が「中山道」、右側が「東海道」であります。「本陣跡」「脇本陣跡」を見学し、近くにあるホtルに到着しました。
08/05東海道紀行-17(水口宿~草津宿)
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