中山道:東近江路紀行 21日目:21.7km
醒井宿ー番場宿ー鳥居本宿ー高宮宿ー愛知川宿
(昨日はホテルの関係で醒ヶ井から彦根へJRで移動しました。)
先ず、天下の名城と言われる「国宝:彦根城」の外周を見学し、JRで出発点の醒井宿へ戻りました。
醒ヶ井宿清水の郷から番場宿を経て南西へ向かい坂道を登って「摺針峠(180m)」に至りました。
峠よりの眺望は極めて良く、コバルト・ブルーの琵琶湖が見えました。惜しむらくは電線が邪魔でした。
峠を下ると鳥居本宿です。鳥居本宿は北国街道との分岐点で井伊家30万石の宿場として発展した町です。赤玉神教丸本舗が有名です。
鳥居本宿から一里半で「高宮宿」に入ります。高宮は「お多賀さん」と呼ばれた多賀神社の門前町で大鳥居が立ち3kmにわたる参道が伸びているとのことでした。
愛知川(えちがわ)は、愛知川商人の地、近江上布等の伝統工芸品が息づく町であるらしい。
1.彦根城址
姫路城などとともに天下の名城の一つに数えられる彦根城は、井伊直勝(直継)によって約20年もの歳月をかけて建設され、元和8年(1622)に完成しました。
彦根城天守は松本城、犬山城、姫路城の天守とあわせて「国宝四城」と称され、国宝に指定されています。彦根城の別名「金亀城」の名は、彦根城築城前、彦根山上にあった寺院に金の亀に乗った観音像が安置されていたからと言われています。
2.醒ヶ井宿:6番茶屋
幕府の天領(直轄地)であった醒井宿は、享保9年(1724)大和郡山蕃の飛地領となった。藩主・柳沢侯は彦根藩・枝折との境界を明示するため中山道の北側に同じ形の茶屋六軒を建てた。この「六軒茶屋」は中山道の名所となり安藤広重の浮世絵にも描かれている
3.番場宿&摺針峠
番場宿は、古代から開かれた宿場町であるが、明治以降、交通が米原経由に替わってしまい今では場所を知るものはほとんどいなくなった。
蓮華寺には長谷川伸作「瞼の母」の主人公・番場の忠太郎にちなんだ地蔵尊がある。この宿から摺針峠を越えると、琵琶湖が見え、いよいよ近江平野に入る。
4.鳥居本宿
摺針峠を一気に下ると、すぐ鳥居本の宿場街が、軒並みをつらね、いまなお、旅情あふれる面影を残します。
北入口には松並木があり、宿場の最初の曲がり角には、江戸期から今日に至るまで懐中胃薬「赤玉神教丸」を製造販売している有川家の豪壮な家構えが、いまもそのまま残っています。
5.高宮宿
中山道の宿場町とともに、伊勢神宮、天照大神の親神にあたる伊邪那岐・伊邪那美の夫婦神を祭神とする「多賀大社」の参道として門前町の役割も果たしていた高宮宿は、中山道宿村大概帳によると、人工密度の大きい宿場で、宿高2923石、町並み7町16間、天保14年の人口3560人、家数835軒、本陣1軒、脇本陣2軒、旅籠屋23軒があったとされる。
4愛知川宿
中山道の宿場町として栄えた、本陣をはじめ脇本陣旅籠28軒、問屋3軒からなる中規模の宿場で、常夜灯と脇本陣跡の石碑が残っている。
08/19中山道紀行-24(醒井宿~愛知川宿)
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