1.島田宿から金谷宿
まず、「大井川河渡り遺跡」を見学します。当時の、川渡り道具(籠、艪など)、待機のための旅籠(川宿)等、珍しいものを見ました。それから「大井川大橋」を渡ります。長さが1.3kmもあり、渡るのに13分ほどかかりました。
対岸は「金谷宿」であり、遠江国に入りました。金谷宿は西側の川渡り拠点であり、大井川川渡り遺跡と同様なものがあったようです。
●大井川河渡り遺跡
●大井川
●金谷宿
2.金谷宿から菊川の里
しばらく行くと、「金谷坂石畳」が始まる。急坂と丸石ばかりの石畳は足腰に堪えます。坂を登りきると、左写真のように一面、茶畑でした。やがて「菊川坂石畳」、山道をさらに行くと間の宿「菊川の里」に着きました。
3.「小夜の中山」越えで日坂宿へ
ここから、「小夜の中山」ヘ旧勾配の坂道が続きます。「小夜の中山」は箱根峠、鈴鹿峠とともに東海道の三難所と言われています。右手に真言宗の名刹「久延寺」がありました。ここには「夜泣き石」がありました。(盗賊に殺された妊婦の腹の子が助かり、その子を久延寺の住職が水飴で育てたが、死んだ母の霊がこの石に取りついて
毎夜鳴くので読経して慰めたという)伝説の石でした。又、ここには掛川城主の山之内一豊が関ヶ原に向かう徳川家康をもてなしたという「接待茶屋」がありました。
その後、中山峠はフラットな道となり、歩き易くなりました。「峠の一里塚」を越すと、怖いほどの(下りの)急坂となりました。(参勤交代の折、殿様方はどうされたであろうか?籠の中にいるのは物理的に不可能と思われました)
●名刹「久延寺」(徳川家康を山之内一豊が接待)
4.日坂宿から袋井宿
「日坂宿」に着き、時間を見ると、丁度昼食時間となっていましたので旧道は通らず、一号線を歩行し「茶屋」をさがしていたところ「道の駅」がありました。メニューも多く、美味でした。のどが相当渇いていましたので、グイ飲みしたビールが素晴らしかったです。
その後、一号線を歩き続けましたが、みるべき所は少なく、雄大で美しい「掛川城の天守閣」が眼に残りました。
●途中で「掛川城」見物
本日の歩行で、行程の約1/2を消化しました。
07/29東海道紀行-10(島田宿から袋井宿)
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