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倶利伽羅源平合戦の模様
1183(寿永2)年5月11日、平家軍の総大将、平維盛(=清盛の嫡男重盛の長男)は、倶利伽羅山中の猿ヶ馬場)に本陣を敷いて、7万余騎の軍勢とともに木曽義仲率いる源氏軍を待ち構えていました。一方、義仲は埴生八幡宮で戦勝祈願を行った後、平家の動きに合わせて味方の軍を7手に分け配置させ、夜が更けるのを待っていました。夜半に北側の黒谷の方角から、4,500頭の牛の角に松明を付け、4万余騎の軍勢とともに平家の陣に突入しました。昼間の進軍で疲れ切っていた平家軍1万8千余騎は、源氏軍の奇襲に混乱し、何もできずに追い詰められ、人馬もろとも地獄谷に突き落とされました。
○JR石動駅前(JR高岡駅から乗車し、当駅で下車)
○埴生宿
○埴生護国八幡宮
木曽義仲が戦勝を祈願したことで有名。約1300年の歴史を持ち、国の重要文化財に指定されています。
○倶利加羅峠入口
○長坂道登り口
○たるみの茶屋跡
○峠茶屋跡
○矢立堂
矢立山周辺は、義仲軍の最前線であった所。幅220m程隔てた「塔の橋」より平家軍が矢を放ち、ここに多くの矢が立ったことが、名の由来となった。
○砂坂
義仲軍が火牛400~500頭を突入させたと言われる場所
○源平古戦場跡
○猿ケ馬場(平家本陣跡)
倶利加羅合戦において、平家の総大将:平維盛が本陣をおいた所です。軍議石と本陣跡標柱があります。
火牛の像(火牛の計り)
春の夜半、源義仲が角に松明をくくりつけた牛の群れを先頭に、この山路を駆け抜け、平家十万の大軍を破った。ここが源平の戦いに名高い「火牛の計り」を策した古戦場である。
01/12北陸街道の旅-3(倶利伽羅峠、)
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