平戸城の歴史
鎌倉・室町時代にかけて、この地は水軍として名を馳せた松浦党の本拠地でした。松浦家26代鎮信(しげのぶ)は1599(慶長4)年、亀岡に「日の岳城」を築いた。しかし徳川家康は、豊臣秀吉と親交が深かった松浦家に疑いのまなざしを向けた。鎮信はその疑いを払うために「日の岳城」を焼却、平戸6万1千7百石を守った。松浦家は以来約90年間を「御館(おたち)」で過ごし、その間、御館(現在の松浦史料博物館)が藩庁かつ藩主の私邸として使われました。
松浦家30代棟(たかし)となって幕府の許可のもと、1704(宝永1)年、「平戸城」の再築を開始、1718(享保3)年、完成した。これが今の平戸城(亀岡城)であり、本丸、二の丸、三の丸外郭により構成され、日の岳の輪郭が利用されている。この平戸城は山鹿素行の縄張によるもので、全国でも珍しい城と言えるそうです。
1871(明治4)年、廃藩置県により廃城、建物は現存する北虎口門・狸櫓を残して取り壊された。その後、1962(昭和37)年、本丸に三重五階の模擬天守などが復興されています。
◎登城口及び登城路
◎北虎口門
◎狸櫓
◎本丸へ
◎天守閣内部
◎天守閣よりの眺望
11/23お城めぐり-8(平戸城①)
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