1.内野宿から冷水峠入口
起きてみると、素晴らしい快晴である。山も今日は霧も出ないであろうと確信し「JR折尾駅」へ向かう。折尾発8時45分の博多駅快速(飯塚経由)電車に乗車し目的地の「内野駅」に向かう。途中、「桂川駅」で原田行きに乗換、10時14分に「内野駅」に到着した。まず、飲み物を調達し、10時30分に出発、「冷水峠越」で山家宿へと向かう。
宿外れに「老松神社」が現れた。マニュアルどうりだ。そこから200号線と並行して走る旧道を右目に、段々田んぼを見つつ、峠へと向かう。「発峠」を越えた所から異様な光景を目にする。アスファルトとコンクリート構造物の残骸である、つい最近開発された「冷水バイパス」のため、要無くされた旧国道の一部であろう。側には空き飲料缶等が放置され、見苦しい。「ぶつぶつ」言いながら30分程歩行すると、冷水峠入口の「鳥居」とぶつかった。これで自然に戻れると いった感じで先程のいやな気分も忘れられそうな状態となった。
2.冷水峠越え
鳥居を通過し、前進すると細い山道が続く、10分程経ち右手に民家があり、「首なし地蔵」はこちらの方向ですか?と尋ねると、「もう少しの所ですよ」と答えが返ってきた。それからは、急勾配の石畳となり、数回の小休止を取りながら登っていく。やがて、「首なし地蔵」の場所に到達し、夢中でシャッターを押した。
それから、しばらく歩行すると、「冷水峠」であると思われる平らな山道に遭遇した。又、左側の谷に「穂波川(=遠賀川)の源流」であろうと思われる「せせらぎ」が見られる。これを横目に10分ほど歩くと、もう一つの「お地蔵さん」に出会う。この辺りに群境石があるはずで探してみたが、発見出来ず残念であった。
これより、自然道が二つに分岐しており、どちらか迷ったが、左側の細く急勾配の路を選択し、杖で草を払いながら15分ほど登っていくと平らな広い場所に到達した。「大根地神社」の筈である。右手を見ると、まさに堂〃とした鳥居が上まで続いている。やっと難所を越えたかとホットした。鳥居の袂には「長崎街道の説明パネル」があった。昔の歩行者にとっては、整備されていないこの難所を越えるには大変だったろうなと改めて思いおこされた。時計を見ると11時30分である。二男と共に家内に感謝しつつ弁当を戴いた。
3.大根地神社から山家宿
12時ジャストに「山家宿」に向け再出発である。これまでの自然道の旧道は消滅し、アスファルトの200号線と重なっているようだ。狭い道路に大型トレラー、ダンプカーがひっきりなしに通過していく。その度に、路肩の溝側通過するのを待つこととなった。黒い排ガスを浴びながら誠に危険な歩行となった。道路事情に合わない大型トレラー、ダンプカーの製作とその運行について、制限を加えない甘い運用の国土交通省、関連役所に腹が立った。見るものも無く、危険な歩行を約1時間続け、13時15分に「JR山家駅」にやっと到着した。
丁度良い時間の列車がなく、14時30分発飯塚行きの「高速バス」で帰る事にして、二男と「やけ酒」ならぬ
「やけビール」で反省会を行った。今日の旅は、「半分の感動」と「半分の怒り」の時間をもつものであった。
次回は、山家宿を起点に「原田宿」を経由し、佐賀県鳥栖市の「轟木宿」を目指します。
10/05長崎街道紀行-4日目(内野宿~山家宿)
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます