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11/17お城めぐり-3(佐伯城)

2023-11-17 14:13:52 | 旅日記

 市街地の背後、シイの木で覆われている城山には、標高142mに位置する佐伯藩主毛利家の居城、佐伯城跡がありました。築城者の「毛利高政」は豊臣秀吉の家臣として、大阪城など多くの城を手掛けた築城の名手だったそうです。

佐伯城は、三層の天守閣をもつ本丸を中心に、二の丸・西出丸を西南にのばし、北出丸を東北に広げ、あたかも舞鶴の翼を張った姿を連想させることから別名「鶴屋城」とも呼ばれていたそうです。

現在では、城郭の建築遺構としては僅かに「三の丸櫓門」を残すだけでですが、城跡を示す石垣はよく残り、城址公園として市民に親しまれているそうです。普段山登りをしない方には、決して楽な道のりとは言えませんが、城跡に辿り着いた時に見下ろす景色には、最高の気分にさせられます。

また、三の丸櫓門は県指定有形文化財に指定され「黒門」とも呼ばれていて、佐伯城で現存する唯一の遺構で、佐伯観光の最大のシンボルとなっています。大手門跡から養賢寺へと続く道は、日本の道100選に選定された歴史と文学の道です。

 毛利高政は尾張国荒子荘の出自でもともとは森氏を称していた。早くより秀吉に仕え、備中国高松城攻めで羽柴氏と毛利氏が和睦した際、人質として毛利家に送られた。このとき毛利輝元に気に入られ、毛利と森は唱が似ていることから毛利に改めるように勧められ、主君秀吉の許可を受けて毛利と改姓した。

佐伯城址三の丸

本丸跡

城下の模様(歴史的環境保存地区に指定されている)

○汲心亭

城山の裾をくねる「歴史と文学の道」を歩くと、そのほぼ真ん中にあります。本館「更深軒」と草庵「五味庵」があり、落ち着いた雰囲気の中、美しい庭を眺めながらいただく抹茶は格別でした。

○佐伯藩三泉の一安井

 佐伯市藩の城下町は元々は干潟だった為、飲料水に困っており、当時の藩医・今泉元甫が私財を投じて井戸を掘ったそうです。?泉と安井と甘泉の三つの井戸は、「今泉元甫の三義井」と呼ばれています。これらの井戸は昭和初期まで、生活用水として使われていたそうです。。

 ○養賢寺

佐伯藩主毛利家の菩提寺です。

○日本の道100選に選定された歴史と文学の道です

釣りバカ日誌のロケ地でもあったようです。(駅舎内のポスター)

11/17お城めぐり-3(佐伯城)

 

 

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