1.松原宿から大村宿
今日は難所「鈴田峠」越えとなる。 日の明るいうちに峠を越えねばと気が焦る。
松原駅を出て5分位の所に「鍛冶屋」があった。松原は鉄の槌で名高く武器・小刀その他の鉄製品を産出するところであったらしい。とシーボルトも語っている。
34号線に沿っている旧道を左側に「野岳」、右側に「発電所」を見て、耽々と歩く。20分経った頃、「牟田家前の標識」に出合った「右に曲がれ」との指示である。右折し、34号線を横切りしばらく旧道を歩く。5分後に旧道が切れ、34号線と一緒になり、車との友達関係が約30分間ほど続く。「八坂神社」前に10時30分に到着。これより、又旧道に戻り25分ほど歩行後「追分石」に出合った。更に進むと「水主町口石垣跡」が右側にあり、大村「本町」はもう真近にある事を悟った。
5分ほどで「本町」入口のアーケードに到着、右側には「脇本陣跡」を見つけた。松原駅前より2時間15分後の11時30分に休憩地点の「本町」に到着した。アーケード内は、昔宿場町であったことを示す灯篭等良く整備されていた。
○大村宿の模様
2.大村宿から岩松宿
先を急ぐ気持ちが逸り食事休憩もそこそこに、12時に大村本町を後にした。20分後、「岩松」に抜ける旧道の分岐点の所に長崎街道の「説明板」を発見。これを横目に鈴田峠ヘと急ぐ。右手には近代的な「国立中央病院」の建物が見える。左手にある「野田神社」前を通過する。地図を見ると間じかに「自然道」とぶつかる筈である。「老人ホーム」左側に「自然道」が見つかった。1メートルにも満たない細い道である。左手には「みかん畑」である。100メートル位歩いて、出口に出た。諫早側からはこれが入口である。旧道をそのまま直進し、長崎自動車道の高架道の下をくぐり抜けると、34号線とぶつかった。
3.鈴田峠越え
これを横切り、坂を登って行くと、右手に鈴田峠の入口である「大神宮」があった。時計を見ると13時30分であった。急勾配でアゴがあがりそうになった。高く登って来たこともあり、多良岳も真横に見える。最後の急勾配が現れた。峠最後の登りである。力をふり絞って登った。登り切ると、薄暗く、なんだか薄気味悪い場所である。それでも我慢して「駕籠立場跡」を通過し、「国境石(弁慶の足形石)」の場所まで来た。やっと明かりを見ることが出来、ホットした。時計を見ると、14時10分を指していた。これからは下りとなり、「破籠井経由」で永晶まで30分で行けると思った途端、ハプニングが生じた。
何と、ドーベルマン犬3匹がこちらを見ているではないか。更にピーと笛がし、飼い主が犬を呼び寄せ、「軽トラの檻」に収納した。自分が通過した後、檻を放たれると?の思いがあり、前を通過することは出来なかった。結局、苦労してきた道を引き返し、横道を30分くらいかけて、34号線に戻り、34号線に沿って遠回りで「永昌宿」を目指すことになった。(なんとも情けなかった)ハイカーも通る所でドーベルマン犬を離すとは、誠に非常識な飼い主である怒り心頭であったので、取敢えず、軽トラの「登録番号」を地図の上にメモした。「永昌宿」に着いたのは、計画より1時間遅れの16時10分であった。万歩計は40,400歩を指していた。これまでの最高の距離と最高の歩行時間であった。諫早駅前の食堂でヤケ酒?をあおり16時44分発の「かもめ36号」で帰路についた
10/13長崎街道紀行-12目(松原宿~永昌宿)
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