1.飯塚:本町商店街からJR天道駅付近
はやる気持ちで第一歩を踏み入れる。
約50mの所で、「問屋場跡」を発見、次は何が出てくるか?胸が高鳴る。飯塚宿名入りの「提灯」が飾られている長い銀天街を更に進むと突き当たりに、昔の飯塚宿の状況を描いた「大パネル」が出現し、流石は、筑前六宿に数えられる「飯塚宿」と感激した。
銀天街を通り抜け、しばらくすると「大神宮跡」と刻みこまれた石碑があった。これを最後に史跡らしき物がみいだせなくなった。市街地端の「徳前大橋」を通過中に、茶屋(中華料理:陽山)が目に入る。11時になっており、早めの昼食を取ることにした。
11時30分に陽山を出発、ポカポカとした陽気の中、穂波町の田園沿いの旧道を歩行、「貴船神社」、「穂波町役場の裏」を通り楽市を抜け「JR天道駅」に至る。
2.一里塚から筑穂町
そろそろ、一里塚がある場所なので、注意して歩行するも発見できなかった。大楠踏切を渡った途端に「一里塚と瀬戸の渡し」のパネルを発見し、路は間違っていないと安堵した。現在、川渡しはなく、直進したところ、路を間違え、秋月街道を甘木に向け歩行していた。
桂川町役場前を過ぎて、どうも地図の状況と違うことに気づき、近くで畑仕事をされていた方に訊ねると、「全然違う方向ですよ」と言われ、軌道修正である。約1時間程のロスを生じた様だ。
教わった「出雲交差点」に到着。ここから「内野宿」までは、約1里半の距離にあるようだ。やっと本道に戻ったせいかまた足が軽くなり、長尾交差点より右折し汐井川橋を渡り、筑穂町の旧市街を通り、内野を目指す。
3.馬出橋から内野宿
「馬出橋」を渡ったところで町並みが消えた。残り40分位の所まで来た。「愛宕神社」の側を通過し、「横山峠」を越えた所で内野の町並みが見えた。途端、それまでは、何ともなかった右ふくらはぎに張りが出てきて、やや痛い。「あと少しだ、無理はすまい」と右足をひきずりながら歩行する。14時55分に「JR内野駅」に到着
した。下りの時刻表を見ると、16時9分の桂川駅行きがある。約1時間内野宿見学の時間が確保された。
そこより、3分の場所にある内野宿を見学。宿場の様子は、建て替えが進行中であるが、昔のたたずまいを
残している。「薩摩屋」「小倉屋」「肥前屋」等、木製の表札が各家の玄関の前に立てられている。一昔も二昔にも戻った思いがし、夢中でシャッターを押し続けた。又、木屋瀬宿、飯塚宿とはいささか異なった旅籠風景は
宿場町廻りを目的とした街道歩きに、一つの新鮮さを与えてくれた。
長崎街道上り、下りの両面において、難所であった「冷水峠」麓の宿場であり旅人の大半はここの旅籠を
利用したと思うと感慨深いものであった。万歩計を見ると飯塚宿本町より内野宿まで23,500歩を指していた。
次回は、いよいよ「冷水峠」越えで、「山家宿」を目指す。
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