人吉城の歴史
●人吉城は、もともと平氏の代官がいた城であったが、遠江国(静岡県中部)相良の出身で人吉庄の地頭として着任した相良長頼(さがら ながより)が、平頼盛の代官矢瀬氏を滅ぼして建久9年(1198)に城主となり、翌年より修築したと伝えられている。その修築の時、三日月の文様のある石が出土したので、別名を三日月城あるいは繊月城とも言われている。実際には応仁の乱後の文明2年(1470)頃、第12代当主、相良為続(ためつぐ)によって築城されたようである。
●豊臣秀吉の天下統一後、天正17年(1589)に第20代相良長毎(ながつね)は豊後から石工を招き人吉城の整備を始め、慶長6年(1601)には御本丸・二の丸・堀・櫓御門(中御門と推定)まで完成。慶長12年(1607)から川沿いの石垣を築き始め、寛永16年(1639)に幕府に気がねして石垣工事は中止されたが、このときには近世人吉城はほとんど完成していたと考えられる。尚、相良氏は、長頼を初代にして、35代におよぶ城主の家系である。
人吉城のプロフィール
球磨(くま)川と胸川を天然の堀とした人吉城は、本丸・二の丸・三の丸・総曲輪からなる平山城。大手門・水の手門・原城門・岩下門によって区切られる城の周囲は2,200mもある。本丸には天守は建てられず二階建の護摩堂が建てられ、二の丸と三の丸の西側麓には城主の屋敷(御館)があった。城の周辺の総曲輪は、上級武士の屋敷となり、川岸近くには役所や倉庫が置かれた。
●JR人吉駅から人吉城へ
●人吉城内
●本丸への路
●三の丸
●二の丸
●本丸へ
●JR人吉駅へ
11/30お城めぐり-(人吉城、)
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