標高約860m(859.5m)古処山の麓の町で三方を山で囲まれ、南に開けた町です。地理的に攻めにくく、守りやすい盆地にあります。中世に秋月氏が古処山に山城を築き、秋月氏16代、近世になって黒田氏が12代と城下町としての歴史は大変古く、現在の街並みは黒田氏によってつくられました。
(関ヶ原の戦いで勝利した徳川家康は、恩賞として筑前国を黒田長政に与えます。福岡藩の初代藩主となった黒田長政
は叔父黒田直之に秋月1万石を与えます。二代藩主忠之は弟長興に秋月周辺の五万石を与え、支藩:秋月藩が誕生)
1587年(天正15年)戦国時代豊臣秀吉の九州征伐の際、秋月種実は徹底抗戦を決めますが、重臣の恵利内蔵助暢尭(えりくらのすけのぶたか)は秀吉群の強大さから勝ち目がないと和睦を進めますが聞き入れられず、家族もろとも死を持って止めようとしました。その場所に記念碑が建っています。
明治までは城下町として賑わっていたのですが、秋月の乱で武家の没落と主要幹線から離れた立地が近代化や開発から取り残され、結果として、城下町の姿は残りました。
国の重要伝統的建造物群保存地区は全国では61地区あり、その中で城下町は2地区、町全体が指定されているのが、秋月の特長です。町割り、屋敷割り、道路網と水路網、城館跡、武家屋敷、町屋の城下町の様子が周辺の自然景観、田園景観と調和し、歴史的風致となっています。(以上、朝倉市:秋月観光マップより)
1.九州自然歩道模様
2.秋月城下町模様
7/27古都、秋月を歩く
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