1.宮宿から桑名宿
ホテルを8時に出発、名鉄線、近鉄線に乗り換えて「桑名宿」まで電車で移動します。昔は、「宮の渡し」から「桑名の七里渡し」まで船で渡っていたようですが、現在は、ボランティア組織で3回/年船渡しをしているようですが、直近としては10月にしかないという事で、電車で移動したわけです。
2.桑名宿
「桑名駅」到着後、真っ直ぐに「七里の渡し」を目指します。桑名駅から約2kmの所にあるようです。途中に、「海音寺(薩摩義士墓所)」があり、立ち寄ることにしました。(当地方に度々水害をもたらした木曽、揖斐、長良三大河川の治水工事による薩摩藩85名の犠牲者を出したそうです。当寺には大幅な予算超過と多数の藩士を失った責任をとり、腹切した奉行を中心にした24義士のお墓だそうです。)
渡し場の西側には、「大塚本陣跡」「脇本陣跡:(山月)」が夫々高級料亭として残っていました。「七里の渡し場」は碑と常夜燈をのこしているのみで、現在は護岸整備が進み、昔日の面影はなさそうです。昔、美濃国内の年貢米はすべて桑名に集められ、米市場も開かれるようになり、その相場は、全国の市場に影響を与える程であったそうです。こうして商業が隆盛し、伊勢参宮の旅人等で賑わった桑名宿は宮宿と並んで、東海道一二を競う宿場町となったそうです。交番所でもらった桑名マップには49店の「蛤料理屋」が紹介されていましたが、とても高価そうで口には入りませんでした。
続いて、四日市の追分ヘ、ここでお伊勢参りの人達と京を目指す旅人は、左右に分かれます。参宮客は左手、海岸沿いの伊勢街道へ。東海道は鈴鹿川に沿うように西へ向かい、右に御在所山を望みつつ、亀山を目指します。
3.亀山宿
「亀山宿」にある「亀山城」は胡蝶城とも呼ばれ、姿の優雅さで知られる城であったそうです。現在は、濠や、土居、石垣の上に多門櫓等が残っているにすぎません。歴史的には、信長の死後、柴田勝家と連携した滝川一益の拠点となった城です。その後三法師の後見人の織田信雄が北伊勢攻めの総大将として迎え入れられました。
賤ケ岳の戦いで秀吉の天下取りが成就する事になりますが、天下取りの一ステップとしての背景となった城の一つであったようです。
08/03東海道紀行-15(宮宿~亀山宿)
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます