右手に「古久屋生花店」を見て左折します。犬目峠の入口です。急勾配で、中野地区をほぼ直線的に上って行きます。昨夜のお酒が多少残っているのか?猛烈にきついです。さもありなん、良く調べると、頂上に近い山谷地区とは200mの高低差がありました。東海道:小夜の中山峠クラスのA級峠越えであったようです。この辺りに「冨士絶景ポイント」がある筈のですが、冨士山方向は雲がかかっています。残念ながら諦めが先行します。
恋塚一里塚がありました。宝勝寺の前を回り込みますと、「犬目宿」に着きました。甲州一揆の頭領となった犬目兵助の生地です。逃亡し、最後は帰郷しひっそりと晩年をおくったと、パネルに記されていました。偶然にも、兵助のお墓の上方の山で、冨士山を見ることが出来ました。北斎バリではありませんが、その姿を見る事が出来、感激いたしました。その場所を教えて頂いた古木画の師(中村氏)に感謝した次第です。この旅で冨士山を見たのは、今回と、韮崎での二回目にすぎず、感謝のいたりでした。心も落ち着き、中央高速道(下り)の談合坂SAを見下ろす所で、持参したおにぎりで昼食をとりました。
休憩後、しばらくして矢坪坂古戦場跡のパネルに出会いました。(北条氏規と武田信玄配下の小山田信茂が戦った⇒この時は北条の勝と記されていたようです。)その後、左手に甲州霊場の第7番札所の西光寺があり、その前には、お玉ケ井の碑がありました。(その昔、旅籠「恵比寿屋」で働く美しい女中「お玉」にまつわる恋物語で、念願の恋が実ったお礼にと、水不足に悩む野田尻の一角に、澄んだ水をコンコンと湧き出させたと言われています。このお玉の正体は、「竜」で長峰の池の主「竜神」と結ばれたと言われています。)野田尻宿に着いたようです。明治19年の大火で宿場の殆どが焼失し、往時の面影は残ってないとの事でありましたが、しっとりとした街並みは、残っているように思えました。
しばらくは、高速道路とお友達となりましたが、再び旧道に戻り、街道歩きの気分に戻りました。大椚吾妻神社の前では、東京から来たというサイクリストの集団と出会い、歩きと自転車の件でお互いに驚き合い談話を交わしました。
大椚一里塚を越えると直ぐに鶴川宿に到着しました。丘を登ると直ぐに上野原宿です。ホテル到着後、上野原本陣跡を探して近くを散策いたしましたが、残念ながら見つける事は出来ませんでした。
明日は、いよいよ、一旦、相模の国を通過し、小仏峠を越え東京都入りとなります。
09/15甲州街道紀行-7(猿橋
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