〇柏尾坂の戦い
柏尾山は、甲州街道の勝沼宿と鶴瀬宿の間にあり、近藤勇率いる甲陽鎮撫隊と官軍との間で、激しい戦いがあり、その古戦場跡に現在、近藤勇の像が立っています。2011/09/23に立ち寄りました。
戦いの背景
慶応三年将軍徳川慶喜は大政を奉還し、翌四年の鳥羽伏見の戦いに破れたので、傷心のうちに幕艦富士山丸で江戸に帰った。
その年三月、近藤勇は将軍慶喜から許された大名格(若年寄格)として大久保剛と改名、甲陽鎮撫隊を編成し、甲州街道を交付に向けて出陣した。 途中思い出多い故郷上石原では、長棒引戸の駕籠を降り小姓を従えて、遥か氏神様の上石原若宮八幡宮に向かって戦勝を祈願して西光寺境内で休息、門前の名手中村勘六家で歓待をうけたのち、 多くの村人に見送られながら出立し村境まで歩いた。 天下に知られた英雄がふるさとへ錦を飾ることはできたが、戦況利あらず勝沼の柏尾山の戦いに敗れ慶応四年四月下総流山(千葉県流山市)で大久保大和として西軍に出頭、 同月二十五日江戸板橋で刑死、時に僅か三十五歳波乱万丈の生涯を閉じた。
◇勝沼宿
◇国宝:柏尾山 大善寺
◇柏尾山
◇柏尾の古戦場
◇鶴瀬宿へ
10/21甲州街道と近藤勇-1
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