臼杵城の歴史
臼杵城は、戦国時代の永禄5年(1562年)、府内大友館(大分)より拠点を移した大友宗麟により、臼杵湾に浮かぶ丹生島に築かれた平山城(海城)です。
大友氏改易後、石田三成の妹婿である福原直孝、大田一吉を経て、関ヶ原の戦いの後、慶長5年(1600年)に美濃国郡上八幡より5万石で稲葉貞道が入封した。以降、明治維新まで、稲葉氏15代の居城となった。
城には3層4階の天守と31基の櫓が上げられた。総二階造り(上下階の平面が同規模)の重箱と呼ばれる形状をした二重櫓が特徴的であった。廃藩後は天守以下建物は一部を残し取り壊され、周囲の海も埋め立てられた。
鎌倉時代から戦国時代までの豊後国は、大友氏の支配下にあった。キリシタン大名として知られる大友宗麟の治世の末期、薩摩国の島津氏の侵攻により大友氏は存亡の危機に立たされたが(豊薩合戦)、丹生島城(臼杵城の前身)に籠城した宗麟の奮戦などによりこれを凌ぎきり、豊臣秀吉の九州征伐により島津氏が討伐されたため滅亡の危機を脱した。豊臣政権下でも大友氏は豊後一国の領有を許されたが、文禄の役で大友義統(宗麟の子)が卑怯なる振る舞いをしたという理由で秀吉の怒りを買って改易され、豊後における大友氏の支配は終焉を迎えた
○臼杵駅前通り
○臼杵城(卯寅口門)
○本丸搦手口
○本丸跡
○本丸から見た臼杵の町
○今橋口
○臼杵城全景(全面工事中でした)
○武家屋敷へ(稲葉氏下屋敷他)
11/16お城めぐり-2(臼杵城)
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます