かもうな
養子縁組 二之巻
そのような時右衛門夫婦には一つの悩みごとがあった。
後を継ぐべき子が無かったのである。当時子が無ければお家断絶の
憂き目に合うのは必定だった。時右衛門はいう。
「武士たる者なんの未練があろうか、このまま野辺に朽ち果てようぞ
夢々この世に未練など残すでない」
諦め半分妻お豊に言い聞かせるだが、その寂しさだけは拭い切れなかった。
時は、延享元年(1744)、時右衛門四十歳、お豊三十五歳の頃である。
養子縁組の話は過去に幾度かあったがその度に破談となっている。
その理由はこうである。
これまでの養育費が欲しいとか、借金の保証人になって欲しいなど人の弱
みにつけ込む輩が多かったからである。
時右衛門はその度吐き捨てるように
「人を何だと思うのか、犬や猫でもあるまい」
律儀な時右衛門はその度に怒る。
その様ななか、兼ねてより懇意の白石藩二番座七の宍戸七郎右衛門からの
文が届けられた。
・・・続く・・・