誰でも自由なこころで 時代小説「かもうな」掲載中

江戸時代の仙臺藩髙橋家に養子に入った治郎の生涯を愛馬のすず風を通して描いた作品です。時代考は本当に大変でした。

かもうな すず風 第二之巻(四)

2023年03月18日 15時37分00秒 | 日記

かもうな

すず風 第二之巻(四)

 

    16歳になり治郎が待っていたお城の馬場である追廻での乗馬訓練が始まった。

    いつも側には養父時右衛門が付き馬術の基本である「居鞍乘り」から始まり

    「立ち透かし」技を伝授している姿が度々追廻馬場で見られた。

    当時、仙台城内の追廻馬場は藩子弟の乗馬訓練の場所とされ、長さは200間程

    、青葉川(広瀬川)河岸にありその敷地には北廐、中廐、外馬繋場が配置され

    藩の御用馬が数百頭余りが養育されていた。

    養父時右衛門の訓導そしてすず風との触れ合いによって治郎が馬の名手なるの

    は時間の問題だけであった。

    これまで養父時右衛門は「五島(ごとう)を忘るな、馬とて人と同じ心ぞ」と

    治郎を諭してきた。確かに治郎とすず風は友であり、血を分けた兄弟でもあった。

     ※「五島」とは、後藤信康の愛馬で、伊達政宗公に献上され大阪冬の陣の際は老齢のため参陣することが

     出来なかった。それを嘆き仙台城本丸から身を投げた伝説の名馬である。また一説には元の飼い主後藤信康

     恋しさに身を投げたという説もある。

    当時、仙台藩では百石以上の家臣は軍役規定により馬上出陣が義務付けられていた

    が、泰平の世になり、また相次ぐ飢饉などで持ち馬を所持するのは比較的地位の高

    い武士だけの特権となっていた。

      ※「居鞍乗り」とは、和式馬乗りの基本で馬の右側から乗馬する(西洋の馬は左から乗馬する)。

      左腰の帶びた刀が馬に当たらないよう工夫された乗馬方法。

      ※「立ち透かし」とは、和式鐙(西洋のと異なる)をしっかりと踏みしめそのバネの力で馬から

      の衝撃を吸収し、腰から上を安定させる馬上技。流鏑馬などで矢を射るとき正確な狙いができる。

                  ・・・続く・・・