かもうな
養子縁組 第二之巻
時右衛門夫婦に話に戻る。
孫太郎虫で有名な斎川を過ぎると片倉小十郎の城下である。
時右衛門夫婦は仙台から長町宿、中田宿、増田宿、岩沼宿、槻木宿、
船迫宿、大河原宿、金ケ崎宿、宮宿、齊川を経て白石に到着したの
は延享三年七月五日四ッ時(午前10時頃)であった。
時右衛門の道中日誌にはこのように記している。
「奥州街道を上りて白石に向う所に金ケ崎宿あり、白石藩足軽ども
常駐し伝馬役を務めその屋敷の門、白石に向きたるなり。しかるに
百姓どもの門は仙台に向きたる。真に面白き宿なり。」
「また此の地には白鳥を神の使いとして尊ぶ風習あり、その碑寛文
十三年(1673)及び元禄十二年(1699)二碑を見たり」
少し片倉小十郎を紹介したい。
「伊達軍団の弓取りたち」から引用すると。
片倉小十郎景綱といえば、政宗の幕営にあって知識の聞こえ
高かった名参謀として名高い。
梵天丸といった政宗の幼少時代傅り役として訓導し、長じて
その帷幕の軍師となって陰に陽に政宗を教導した人物である。
・・・続く・・・