旅路(ON A JOURNEY)

風に吹かれて此処彼処。
好奇心の赴く儘、
気の向く儘。
男はやとよ、
何処へ行く。

新年会

2010年01月16日 21時25分34秒 | Weblog
出勤早々の朝8時30分から13時まで、休憩1時間を挟んで午後の14時から17時まで、受け付け業務に追われた。窓口の2人で約700人の来所者の流れをさばいたことになる。受付の仕事が回ってくるとその日は立ちっぱなしだ。求職者の皆さんはそれなりに気がたっているから、わずかな対応のまずさに怒りを爆発させることがある。だから、相応のホスピタリティと丁寧かつ迅速な対応が求められる。「おはようございます」「こんにちは」「お疲れ様です」「なにか御用件は?」の挨拶や問いかけだけで1000回を超えた計算になる。もちろん案内業務もおろそかにできない。それでも月に1度か2度指名される受付業務が嫌いではない。

18時からは八丁堀で職場の新年会があった。40名ばかりが参加した。横綱格の酒豪を除くと私が関脇格の酒飲みということになっている。たまたま横綱と隣同士になった。気がついたらわずか1時間と半の間に、前頭格の後輩と3人で1升以上飲んだようだ。格にあった飲酒量だったので私が4~5合といったところか。7割がたが女性の職員なのである。にもかかわらずついぞ女性と言葉を交わすことはなかった。いつもこうなのである。腹いせに、よせばいいのにいつもの癖で2次会にお付き合いをした。群れるのが好きじゃないふたり、前頭格と私との2人連れになった。水割りを4~5杯は飲んだだろうか。1曲歌ってからママに初対面の長い挨拶をしてから後輩を少しいびって、後輩から少しいびられてスナックを出た。

広島駅まで歩いた。立ちっぱなしの受付で棒のようになった足をひきずってディーゼル車に乗ろうとしたら顔見知りに会った。旧交を温めていたら矢口駅に着き、別れ際に近いうちに飲みに行こうという話がまとまった。私と同世代かと思っていた知人が、実は一回りほど年少だったことを知った。白髪が年齢算定の邪魔をしていたのだ。

知人と別れて夜道をひとりで歩きながら、ブッダ最後の言葉である「もろもろの事象は過ぎ去るものである。怠ることなく修業を完成なさい。」ブッダが亡くなった際にサッカ(帝釈天)が詠じた「つくられたものは実に無常であり、生じては滅びるきまりのものである。」という言葉を唱えていたかどうか本人にも定かではない。気がついたら翌日の朝だった。

法事の席にて

2010年01月16日 09時47分13秒 | Weblog
A
「人生というものは思ったようにはいかないものですねえ、思ったようにいかないから人生なのでしょうか。今入っている施設の経営者には、ソロバンがあってもこころがありません。だから職員はよくやってくれているというのになにか冷たいのですね。暖かさというものがありません。」

B
「そう、みんながこころを失ってアメリカ流のお金もうけ主義にはしろうとするからこういう社会になるのです。」

A
「日本人はおたがいに助け合う文化をもっています。」

B
「そうそう、だから日本人がむかしから信仰してきた神道こそが日本の文化の中心にならないといけない。」

C
「しかし、神道には教義というものがない。農耕文化と切り離すことができない。」

A
「そうですねえ、それでも進駐軍が日本の文化を根こそぎにしてアメリカ化しようとしたさいに、神道も検閲等の対象としたことは間違いないようですね。」

A
「でも、軍隊の横暴によって満州国は建国されたことが将来に禍根を残すことになる。日本の文化を破滅させることになるであろうと公然と表明した人物が3人います。北一輝と出口王仁三郎、それに名前は忘れましたが中江兆民の子息さんで中江なにがしです。」

Aさんは今年で95歳を迎える。