【高島城】たかしまじょう
【別名】浮城・島崎城
【構造】平城
【築城者】日根野高吉
【築城年代】1592年(文禄元年)
【指定史跡】市指定史跡
【場所】諏訪市高島1-20-1 地図
【スタンプ設置場所】高島城一階展示室内
【城郭検定】出題あり
高島城は、諏訪湖を自然の要害とし水城とも浮城とも呼ばれていました。
諏訪氏は上原城を本城とし、武田氏に従いやがて徳川氏従ったいましたが、徳川氏の関東入りにともない
諏訪氏に代わって日根野高吉が諏訪に入り、7年がかりで高島城を築城しました。
現在は、明治初期に取り壊された天守の写真から昭和になって天守が復興されています。
北側堀と石垣
冠木橋から見た復興天守。
天守の屋根は瓦屋根を用いず、薄い板を重ねた「杮葺き」で造られていたが明治初期に取り壊されてしまった。
現在は銅板が採用されています。
堀
薄氷が張る水堀。
本丸碑
冠木橋を渡り冠木門の前に本丸碑があります。
冠木門
この門は、武士や、役人など特別に許された「冠木御門御免」がないと通ることが許されなかった。
これはちょっと見なれない光景です!
違和感たっぷり!!
石垣の上に木が生えていて建物に挟まれています
高島城本丸絵図
案内板
隅櫓
本丸東側には隅櫓、持方月櫓、富士見櫓の二重櫓が3基あった。現在は隅櫓のみ復興されている。
多門跡
現在は塀が復興されていますが、かつては三つの櫓を繋げる多門櫓がありました。
復興天守
最上階
1階が企画室、2階が資料室、3階が展望室になっています。
展望室以外は撮影禁止ということで、展望室内部と眺望のみの写真撮影となりました。
眺望
かつては諏訪湖の湖面が現在の堀の部分までありました。
埋め立てによって住宅も建ち並び、今はちょっと離れた場所に諏訪湖が見えます。
高島城亀石
この石は城内の庭園にあったが明治8年廃藩の時に城外に移されたが平成19年に132年ぶりに城内に戻ったという石。水をかけると模様が浮かび上がり願い事をかなえてくれると言われています。
石集配湯枡
三の丸浴場に引き湯のため木樋を継ぎ、集湯や配湯をした石枡。
三之丸御殿裏門(川渡門跡)
ここにあるのは川渡門跡に移築された三の丸御殿裏門です。
平成27年12月29日登城
平成29年1月2日再登城
【別名】浮城・島崎城
【構造】平城
【築城者】日根野高吉
【築城年代】1592年(文禄元年)
【指定史跡】市指定史跡
【場所】諏訪市高島1-20-1 地図
【スタンプ設置場所】高島城一階展示室内
【城郭検定】出題あり
高島城は、諏訪湖を自然の要害とし水城とも浮城とも呼ばれていました。
諏訪氏は上原城を本城とし、武田氏に従いやがて徳川氏従ったいましたが、徳川氏の関東入りにともない
諏訪氏に代わって日根野高吉が諏訪に入り、7年がかりで高島城を築城しました。
現在は、明治初期に取り壊された天守の写真から昭和になって天守が復興されています。
北側堀と石垣
冠木橋から見た復興天守。
天守の屋根は瓦屋根を用いず、薄い板を重ねた「杮葺き」で造られていたが明治初期に取り壊されてしまった。
現在は銅板が採用されています。
堀
薄氷が張る水堀。
本丸碑
冠木橋を渡り冠木門の前に本丸碑があります。
冠木門
この門は、武士や、役人など特別に許された「冠木御門御免」がないと通ることが許されなかった。
これはちょっと見なれない光景です!
違和感たっぷり!!
石垣の上に木が生えていて建物に挟まれています
高島城本丸絵図
案内板
隅櫓
本丸東側には隅櫓、持方月櫓、富士見櫓の二重櫓が3基あった。現在は隅櫓のみ復興されている。
多門跡
現在は塀が復興されていますが、かつては三つの櫓を繋げる多門櫓がありました。
復興天守
最上階
1階が企画室、2階が資料室、3階が展望室になっています。
展望室以外は撮影禁止ということで、展望室内部と眺望のみの写真撮影となりました。
眺望
かつては諏訪湖の湖面が現在の堀の部分までありました。
埋め立てによって住宅も建ち並び、今はちょっと離れた場所に諏訪湖が見えます。
高島城亀石
この石は城内の庭園にあったが明治8年廃藩の時に城外に移されたが平成19年に132年ぶりに城内に戻ったという石。水をかけると模様が浮かび上がり願い事をかなえてくれると言われています。
石集配湯枡
三の丸浴場に引き湯のため木樋を継ぎ、集湯や配湯をした石枡。
三之丸御殿裏門(川渡門跡)
ここにあるのは川渡門跡に移築された三の丸御殿裏門です。
平成27年12月29日登城
平成29年1月2日再登城
続日本100名城公式ガイドブック (歴史群像シリーズ特別編集) | |
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