むぎの城さんぽ

日本100名城&続日本100名城を巡っています。
近頃は山城歩きもエンジョイしてます!

富士見城(長野県)

2016年11月30日 | 百名城以外の城
富士見城ふじみじょう
別名大室城
構造山城
築城者不明
築城年代不明
指定史跡
場所長野県小諸市諸城峯 地図


第一次上田合戦の最前線の地。
小諸鍋蓋城の支城として整備され戦闘のための砦として使用された城である。


小諸インター出口

正面の山、高速道路の「飯綱山トンネル」の真上が富士見城です。
小諸高原美術館を目指して直進します。


野鳥の森駐車場

小諸インターから飯綱公園を目指していると左手に段々になった石垣が見えて来ます。
富士見城の真下にあり、駐車場があります。
ここから本丸まで登る道がありますが、今回はここから登らず美術館の方から行ってみました。
この周辺は土手や農地、住宅に沢山の石垣が積まれています。
城郭の一部なのか生活の為に新たに造られたものなのかは定かではありません。


小諸高原美術館

高速道路を走っていると山の上に変わった建物があるなあと気になっていたのですが
美術館だったのかと今更ながら認識しました。
せっかくなので入場料を支払い美術館も見学しました。



美術館に入ると受付の向かい側に小さなコーナーですが富士見城の案内があります。
パンフレットが置いてあるのでここで情報を入手してから登城すのが良いと思います。
また、こちらの館長さんにも富士見城について尋ねてみると親切にお話を聞かせてくれました。


駐車場

周辺には美術館や動物愛護センターの駐車場があり、トイレも猫形のかわいい公衆トイレが設置されています。
開館中であれば美術館のトイレも借りることが出来ます。
登城するのに一番近いのは美術館奥の駐車場を利用すと良いでしょう。
ちなみに駐車場は24時間無料で開放されています。


案内板とパンフレット置き場

美術館が閉館していても、ここで縄張りを確認してパンフレットも入手することができるように
なっています。



灯篭の扉を開けると縄張り図の描かれたパンフレットが入っています。
親切で助かります。



高速道路がよく見えます。
あいにくの曇り空ですが、晴れているとここからは浅間山がきれいに見えます。



11月だというのに二日前に降った雪が残っています。


旗塚

旗を立てたという、土を盛った塚の跡が幾つか見つかっています。


五の郭

東側の一番端になる郭で、かつては木戸が設けられていたのではないかと考えられている。


四の郭

出郭と考えられている郭で、東西に土塁が築かれています。


堀切

富士見城で一番大きな堀切。
かつては土採場とされていたようです。


堀切の橋

堀切が大きいため現在は橋が架けられて歩きやすなっています。


主郭

最高所にある小ぶりな主郭



西側に一段下がった広めの主郭
こちら側の郭が富士見城の中心となる部分です。


堀切

郭のように見えるのですが、主郭を守るための浅い堀切とされている。


二の郭

土塁(東側)と石塁(西側)で防御されています。


物見

ここからの眺めがとても良いです。


関東の富士見百景

晴れていればこの方向に富士山を見ることが出来ます。
(夜景もきれいそうだなあ)

この日は曇っていてなかなか富士山が顔を出してくれませんでしたが、
2時間してさて、帰ろうと思った頃晴れてきて山々の間から富士山を見る
ことが出来ました。
その後午後はまた天気が悪くなり少しの間の晴れ間でしたが富士山を見られて良かったです。

「富士見城」の名前の由来がここにあります。


石塁

西側南半分に高さ1m程の石塁が築かれていたようで、その一部が今も残されています。


北側石垣

北側も斜面は石垣で守られています。


三の郭

富士見城で最も広い半円形の郭で、周囲を3m程の石垣で造られています。


西側石垣

11月にもかかわらず雪が降り、紅葉と雪のコントラストがとてもきれいでした。


南側の石垣

飯綱山は山全体が岩山で、「飯綱溶岩」と呼ばれるここにしかない石材で石垣が構成されています。
削平地や城周辺の至る斜面に石垣が残されています。




野鳥の森駐車場へ下る道
ここを下ると最初に見た野鳥の森駐車場に出ます。



城郭の周囲全体に石垣が積まれています。


小諸高原美術館館長さんの話によると、
この城は対真田の徳川方の最前線の重要基地・付城として重要な城であり、上田合戦の際も
西側の谷を挟んで小県の真田方と徳川方がにらみ合った場所であること語ってくれました。



これは、美術館と共にもっと「富士見城」を推すべきではないか!
こんなに立派な城跡があるのに、小諸城だけじゃもったいない!


と、率直な意見を美術館に残していろいろ教えていただいた
美術館の方々に感謝しつつ、今回の登城はこれにて終了。



平成28年11月26日 登城


城 2018年 カレンダー 壁掛け C-2 (使用サイズ 594×420mm)
クリエーター情報なし
写真工房

長井坂城(群馬県)

2016年11月22日 | 百名城以外の城
長井坂城ながいざかじょう
別名
構造山城
築城者不明
築城年代不明
指定史跡県指定史跡
場所渋川市赤木町・利根郡昭和村 地図


1560年(永禄3年)上杉謙信が関東出兵の際にこの城に着陣したことから始まり、
その後は北条、真田両氏激突の攻防戦が繰り返されたが小田原城落城の際に廃城となった。



看板

道路に「長井坂城跡」の看板が見えて来るので見逃さないように注意しながら
案内看板通りに辿って行くと城跡まで行くことが出来ます。


外堀

看板に従って車を走らせて来ると、空堀が見えて来ます。


虎口跡

ここには「長井坂城跡」の標柱がありますが、この道のまだ先の方に本丸跡があります。



ここで左側の道に行くと本丸があります。


三の丸

まずは三の丸の標柱が見えて来ます。


三の丸跡標柱

三の丸は畑になっています。
右側は駐車場になっています。


駐車場

三の丸標柱の向かい側に車2~3台ほどの空き地があり、ベンチが置いてあります。
ちなみに近辺にトイレはありません。
眼下には高速道路が見えます。
ここで車を置いて本丸へ。




長井坂城跡標柱と看板

この看板が立て替えられるまえの看板には縄張り図もあったようですが、現在のものには
残念ながら縄張り図がありません。
正直、当時の縄張り図をネットから参考にしても実際歩いてみた感じからだと郭らしきものが
図以上にあるように見えるので詳しいことは見ても分からなかったです。


二の丸跡標柱

二の丸跡も農地になっています。


沼田街道と馬出し跡

目の前に沼田街道があります。
郭内を街道が通る珍しい城郭です。


馬出し跡



沼田街道

この道を途中まで下ってみました。
麓の集落へと続いているようです。現在でも山道となって通過可能。



馬出しから本丸方面へ向かいます。
西側は崖となっていて柵で際まで行かないように注意書きもされています。



とても敵が登って来れるような斜面ではありません。


本丸の西側

崖になっている側はずっと柵が続いています。
ここにはかつてはベンチあったようですが腰掛けるにはちょっとためらわれる状況。


土塁

本丸と三の丸(西側)の間の土塁



土塁がきれいに残っていて、段々になってます。








三の丸(西)跡


石碑

何の石碑なのかわかりません。
ここより東はまた農地になっています。


追手跡

この先、本丸と二の丸の間にある堀のように見える沼田街道。


本丸跡

本丸のすぐ脇を街道が通るということはどんな守りがされていたのかなあ。
確か少し高めの土塁が造られていますが、とても気になるところです。


横矢掛け

本丸と沼田街道の壁と言える土塁。
本丸にすぐ乗り込まれてしまいそうに見えるのですが…。


虎口

城郭内出入口となりますが、郭は意外と広くどっち周りで観て歩くか、一周してここに戻って来ます。



沼田街道続き

馬出し前から沼田街道を辿って下って来ると道路脇に出て、また道下の山中へと道が続いています。



舗装道路下の街道はさらに麓の町まで続きます。



崖地側から見た長井坂城。


長井坂城の情報をあまり持っていなかったのでさぞかし藪地なのかと思いながら来てみたのですが
落ち葉でふかふかですが歩きやすく、運動不足な私でも余裕で散策出来る城郭でした。
藪地でもなく駐車場も少々ありますので街道が縦断する珍しい城郭をぜひ見てみてくださいませ。



平成28年11月20日 登城


中山城(群馬県)

2016年11月21日 | 百名城以外の城
中山城なかやまじょう
別名
構造平山城
築城者北条氏
築城年代1581年(天正10年)
指定史跡村指定史跡 
場所群馬県吾妻郡高山村中山 地図
御城印道の駅「中山盆地」直売所

中山城は、長井坂城とともに小田原北条氏が築城したものです。
この城の縄張りの特徴として、舌状台地に築いておきながら
本来なら一番安全な先端部に主郭を置くのが普通なのですが、
なぜか主郭が舌の付け根に偏った造りになっています。
これは北条と真田の領国の境目である境界に築かれたことにあると考えられています。



駐車場

道路沿いに駐車スペース(パーキング)があるので普通車以上の車はここに停めて歩きます。
軽自動車は本丸下まで乗り入れ可能です。(道は細い)


碑と看板

パーキング脇にある史跡中山城跡碑と看板



10月に立てられたばかりの看板


遠望

周囲は田んぼ、曲輪は畑となっています。



道路にある看板に従って進むと到着します。
川を渡った突当りにも車が停められます。
普通車はここまで。
この分かれ道では左の三の曲輪方面に道路が続いているように見えるのですが、
この道はとても滑りやすく(雨だと4WDでも滑る)、道幅も軽自動車がやっと通れる幅で
絶対普通車での通行は無理です。
軽自動車で通過することは可能ですが木の枝(タラの木)が車のボディを傷つけるので
絶対お勧めできませんので登って行かないほうが良いです。
(もちろんUターンも出来ません。)


下曲輪

最初に訪れた時は大きい車で行ったのでもっと手前で駐車したのですが、
今回は軽自動車で一番入口に近いところまで進入してみました。
ここまではタイヤ痕があったので軽自動車なら進入可能です。



下曲輪からの堀切への入口。この奥は大きな堀切になっています。


本丸入口

足元は砂利が敷かれたりプチ整備されています。


本丸跡

登りきるといよいよ本丸跡です。開けています。


本丸跡碑

10月に設置されたばかりのようです。


城明神

祠があります。


看板



縄張図

細い線の部分に軽自動車が通れるだけの道幅で二の丸、三の丸に行くことできる。
この道は畑に行くための軽トラックや農耕車が通るための道となっているようです。
現在、三の丸は畑になっています。


植樹

中山城主末裔の「中山清」さんが平成元年に植樹したと記されている標柱


土塁

本丸を囲むように土塁がよく残されています。



襟を立てたかのように見える土塁がなかなか良いです。


堀切

下曲輪から入ることができる堀切です。
本丸の周囲に巡っている堀は深く切り立っていてはっきりと残されています。
見事です。





北側の帯曲輪

本丸側から見た帯曲輪
堀の向こう側の帯曲輪は、藪になっていて入って行くのが困難だったので行くことを断念。



本丸から下曲輪を見ると、これだけの高低差があります。


北曲輪堀切

北曲輪の堀切。
堀底は地元の生活道路に使用されています。
三丸が畑になっているのでそこへの連絡路になっています。


三丸堀切

各堀切の底部分は軽自動車一台分がやっと通るだけの通り道が出来ています。
畑への接道になっています。



下曲輪側から進入するとこのような細い道です。





三の丸




三の丸はすっかり農地です。


三の丸堀切

この先腰曲輪


腰曲輪



石垣は無く、土塁や堀切はなかなか見事でした。
深くて大きな空堀と傾斜のきつい斜面は見応えあり!

長井坂城、白石城と似たような城造りがされているように思えます。
北条、武田、上杉と奪い合っただけあってこの辺の城は
土塁と堀切で守られていた城であることが感じられました。



平成28年11月13日 登城
平成28年11月20日 再登城


城 2018年 カレンダー 壁掛け C-2 (使用サイズ 594×420mm)
クリエーター情報なし
写真工房

国峰城(群馬県)

2016年11月13日 | 百名城以外の城
国峰城くにみねじょう
別名
構造平山城
築城者小幡氏
築城年代室町時代
指定史跡町指定史跡 
場所群馬県甘楽町国峰 地図

国峰城は群馬を代表する山城で、小幡氏の居城でした。
小幡氏は上杉、武田、織田、北条と次々に属する先が変わっていき、
1590年の豊臣秀吉による小田原攻めの際、小幡信貞は北条方で小田原城に籠城して
いたのだが、国峰城を留守にしている間に上杉・前田軍に攻め込まれ陥落、
秀吉軍の小田原平定に伴い国峰城は廃城となりました。


国峰城跡 外濠跡 古代ハスの案内看板

県道193号線「善慶寺原」の信号を南に向かうと二つ目の左折できる道に案内看板があります。
そこで左折して、まずは外濠跡へ行ってみることにしました。



十字路右手前に石碑が見えて来ました。
車3台ほど駐車できるちょっとしたスペースがあります。



石碑と案内看板があります。
本郭からだいぶ離れた場所に外堀跡があったので、前回は見逃してしまったので
改めて来てみました。



外濠の中には古代ハスが植えられているようです。
地元の国峰城保存会が丹精込めて大輪の古代ハスを咲かせているそうなので来年の夏には
見ごろの早朝に観に行ってみようと思います。


外濠から見る城山

見た感じは後ろの山々の方が高く見えるので大したことなさそうに見えるのですが…。


国峰城跡入口看板

「善慶寺原」の信号で左折した道に戻って城山方面に向かいます。
右手に「長善寺」があり、左手に国峰城跡入口の看板が見えたらそこを左折します。


看板

分かれ道には迷わないように道しるべの看板が立てられています。
看板通りに進みます。



この道幅で城の方に道は続く。
間知ブロックの途切れた藪の中には…

謎の石垣

間知ブロックの途切れた箇所には一段奥まった場所に古そうな石垣があります。
道路整備される前はこんな石垣で道の土手を抑えていたのだろうか…。
どのくらい古いものなのか、なんのために造られた石垣なのかとても興味をそそられます。


石垣

先程の石垣から数メートル離れた場所にも石垣がありました。
しかもここは「くの字」に曲がった石垣です。
意味ありげにみえるのですが…とても気になるのですがわかりません。
何かの遺構だとおもしろいのですが。


城山入口

民家のガレージ横に入口があります。
ここから先は舗装されていなくて、道が荒れています。



この先は道がひどくすれ違いはおろか、普通車で通行するのは困難な道です。
最初訪れた時は普通車でしたが、途中で断念。
道が荒れていたり倒木があったり、脱輪したら転落は免れない状況だったので
どうしても乗り入れるのであれば軽自動車の4輪駆動車や、傷や底打ち覚悟の車を用意するか
オフロードバイクなら乗り入れ可能と思われます。


御殿平

ここまでは車で乗り入れ可能です。
冷や汗タラタラでここに辿り着きます。
今までの狭い道が嘘のように目の前が開けます。


御殿平の看板

ここはその名の通り城主の居館があった場所です。
北側下の方に階段のように小さな郭が設けられているのですが、家臣の屋敷があったものと考えられています。



ここから先は車を乗り入れられないので徒歩で本丸を目指します。
車の後ろに本丸への登り口があります。
ここからの登山口が大手口だと思われます。
ちなみに私はこのサイズの車(550ccFF貨物車)で何とか来ました。

この先道は細くなり結構急な登り道が続きます。
途中、竪堀や堀切があり土橋や虎口などの遺構も残されています。


本丸

御殿平から20分ほど急な斜面と格闘してようやく頂上へ到着。
かなり疲れます。



眺めは良いのですが周囲の木が少々邪魔しています。
主郭はとてもこじんまりと(狭い!)していて、小さな祠があります。
その前には赤い鳥居もあります。


看板


御殿平以外は本丸も他の曲輪もとても小さなスペースで
あまり開けていないせいか曲輪?という感じでした。
腰曲輪や堀の組み合わせで成り立つ郭群です。

尾根伝いに郭や物見などもあるのですがとてもそちらまで足を延す気力も体力も無く
散策には行けませんでした。



平成26年1月11日 登城
平成28年11月12日 再登城(入口まで)


ぐんまの城30選 戦国への誘い
上毛新聞社
上毛新聞社 出版部

春日城(長野県)

2016年11月11日 | 百名城以外の城
春日城かすがじょう
別名
構造平山城 
築城者粟田口民部重吉(伊那部大和守重慶)
築城年代1534年(天文3年)
指定史跡
場所長野県伊那市西町 地図


春日城は河岸段丘の地形を生かした平山式館城である。
本郭、中郭、外郭の3郭から成り立っている。

粟田口民部重吉(伊那部大和守重慶)は伊那市美篶上大島区の大島城より移ったといわれ、
その頃は姓を「春日」と名乗っていたため、そこから「春日城」と呼ぶようになった。



天竜川沿いのバイパスから西町方向に向けて侵入。


駐車場

西町から伊那文化会館へ向かうと春日公園脇に駐車場があります。
隣接している伊那文化会館の駐車場もあるので駐車スペースは沢山あります。



伊那文化会館側から入城してみました。


東屋

懸魚まで付いた立派そうな東屋


急な斜面

こうした斜面で囲まれている。

三の郭

三の郭は遊具が設置されていて普段は子供たちが多く遊んでいます。
この写真は夕方に訪れたため寒さが増してきたので遊んでいた親子は帰りはじめ、
誰もいなくなった後です。


三の丸橋

橋は公園整備されているので鉄製です。




三の丸橋の上から観た堀


二の郭(東側)

ここにもトイレがあります。
桜の季節になると花見で大賑わいになります。


二の郭(西側)

戦没者慰霊碑が建てられています。


二の丸橋

こちらは木造の橋です。

堀の間、郭を繋ぐ橋が架けられています。


主郭



北側には木曽駒ケ岳、南側には南アルプス、伊那谷は高い山に挟まれています。




うぐいす洞

下を覗くと谷底が宅地になっています。

帯郭

主郭の南側、一段下がった部分に帯郭が存在します。


南アルプスの眺望

下に見える橙色の屋根の辺りが尾花ケ崎出郭。
正面にそびえる山々が南アルプスです。
ここから高遠城も望むことが出来ます。


本丸橋

本郭と二の郭を繋ぐ橋




春日城の沿革の碑

春日城の沿革の碑と大ヒットした映画「伊那の勘太郎」(1958年公開)の碑があります。


後の城主春日河内守昌吉は武田方に属していたが、織田信長の武田攻めの際高遠城落城と共に高遠の仁科五郎に
従い共に討ち死に、春日城も共に滅びたと言われています。


伊那部宿

伊那部宿は伊那街道の中で飯田城下と塩尻の中間に位置し、東は高遠城下、西は
権兵衛峠を越え木曽へ通じる交通の要所であったとされる。


伊澤家

伊那部宿にある伊澤家。



宿場全戸が焼失した大火にも一軒だけ類焼をまぬがれ、宿場最古の建物として
伊那市有形文化財建造物に指定されている。



伊那部宿の中で代々造り酒屋を営んでいた。





お花見や散歩で何度も来ていた公園だったのですが、城跡としてじっくりと観て歩いたのは
はじめてです。
改めて観てみると堀や要害がすごかったんだなあと認識しました。

隣の文化会館にはコンサートやプラネタリウムを観に行ったりと、とても身近な場所だったのに
こんなふうに散策したことが無かった。
また、この地を離れてみて変わりゆく故郷を実感しました。



平成28年11月6日 登城

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白井城(群馬県)

2016年11月08日 | 百名城以外の城
白井城しろいじょう
別名
構造崖端城
築城者長尾景仲
築城年代15世紀中頃
指定史跡市指定史跡 
場所群馬県渋川市白井 地図

白井城は利根川と吾妻川の合流地点に位置し、台地の先端に自然の要害を利用して築かれました。
国道17号線の一本西側(城側)には白井宿があります。



北郭

車で乗り入れられるルートで北郭側から本丸目指しました。
白井宿を横目に坂を登りきると郭があり、民家を抜けると一帯は畑が広がります。


三の丸

周囲は畑


空堀

三の丸と二の丸の間にわりと大きくて立派な堀が道を挟んで両側にあります。


二の丸

こちらも畑が広がります。


枡形虎口

枡形門の前には空堀が巡らされています。



空堀

いよいよ本丸!の前にまたまた立派な空堀。(右側)


三日月堀

枡形門に向って左側には三日月堀があります。
ここから堀底を歩くことが出来ます。


枡形門

この野面積みの石垣は本多氏の時代に整備されたものです。
駐車場として整備はされていないのですが、なるべく荒らさないようにそっと駐車することできます。


土塁

この土塁を登ってみると、ぐるっと東側を歩いて南角の櫓台まで続いています。


本丸

本丸入口に案内板や碑があります。

犬の散歩をされている方、ジョキングされている方と数人すれ違いました。
近所では散歩に良い場所とされているのでしょうね。
ちなみに城跡の散策をしているのは私ひとりでした。


本丸内が見渡せます。


トイレ

本丸入口の横に簡易トイレが設置されていますが…使えるのかどうかまでは確かめていませんが
この衝立の裏にあります。
トイレはは白井宿まで行くか「道の駅こもち」を利用することをお勧めします。


土塁の上から

本丸の東側は土塁で囲まれており、土塁の上を歩けて櫓台まで行けるので眺めも良く
城下を見渡すことも出来ます。


笹郭

櫓台跡から笹郭を見下す。


標柱






櫓台跡からの眺め

眼下には吾妻川。


堀底

三日月堀から堀底を抜けて帯郭へ。
高い堀に囲まれちょっと神秘的な道に見えます。


帯郭

堀底から上に登ると、そこは帯郭です。


ここからは現在住宅地になっているのですが南曲輪が見下すことができます。
この先は北曲輪大手虎口(神明宮)が終点でそこから階段を下ると白井宿に出ます。



白井宿より

現在白井宿は古い町屋や水路、井戸、石碑、石仏など整備して観光地として
多くの人が訪れる観光スポットになっています。


大手口~神明宮

ここから白井城に登城することができます。


神明宮

ここから帯曲輪を通って本丸へ行くことが出来ます。



古い町並みと白井城跡とセットで散策されると良いのではないかと思います。
この日は天気も良く、途中でベンチに腰をおろすおばあちゃんとあいさつして
ぶらぶらと白井宿を歩いて本日の城さんぽは終了。
やっぱり朝の城さんぽは気持ちが良いものです(^O^)


城跡は明治時代以降農地改良されたのもかかわらず、堀や土塁など良く残されている見応えのある城でした。


平成28年11月5日登城
令和2年3月21日再登城


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深谷城(埼玉県)

2016年11月03日 | 百名城以外の城
別名ふかやじょう
別名木瓜城
構造平城
築城者上杉房憲
築城年代1456年(康生2年)
指定史跡県指定史跡
場所埼玉県深谷市本住町 地図


古河公方の侵攻に備え築いた城。
深谷城は低湿地に築かれ、深い堀と土塁によって守りを固めていた構造で
発掘調査によって障子堀も発掘されています。
しかし、遺構のほとんどは住宅、公園、学校などで土地改良され外観からはほとんど
わからない状態です。

西側入口

きれいな石垣と塀がありますがこれは模擬石垣と模擬壁です。


入口広場

公園はきれいに整備され、模擬石垣や壁がここに城が築かれていたことを示しています。



お城っぽさが出ていて景観はきれいだと思います。


掃部寮

ここは華道や茶道に使用している建物です。


保健センター駐車場

訪れた日はこちらの駐車場に停めて城内をさんぽしました。

こちらの職員の方か地域のボランティアの方かわかりませんが朝からゴミ拾いをされていました。
浅間神社の方では自治体の方か近隣住民の方か落ち葉清掃をされていました。
地元の方々が地域を大切にされていることが感じられます。


モニュメント

何の意味があるのかよくわからない、石垣のピラミッド?

深谷上杉氏家紋碑

「竹に雀」の家紋は公家の藤原系勧修寺家が用いその子孫の武家上杉氏がこの紋章を東国にもたらしたものである。



芝生広場

紅葉がきれいでベンチで読書でもしたらいいなあとおもいましたが、あいにくこの日は風が強く
枯葉が舞い、読書日和という感じではありませんでした。
もう冬が近付いていることを感じる陽気でした。


四阿





深谷城外壕跡

遺構らいい遺構は残っていない城跡ですが、ここが一番判り易い堀跡とされています。


東曲輪の堀跡






富士浅間神社


加藤省吾顕彰碑

「みかんの花咲く丘」、「りんごの歌」、「かわいい魚屋さん」など戦後の昭和を代表する童謡の作詞を
手掛けた深谷市代表の作詞家である。



西曲輪の堀跡

深谷小学校の西側にある水路がかつての堀の跡ではないかとの説があります。


高台院

深谷城三代目城主上杉憲賢の菩提を弔うために高泰姫によって再興された曹洞宗の寺です。


入口のガラスに磨り込まれた上杉家紋が印象的


高台院裏の墓地にある土塁跡


はっきりわかる遺構が少ないのでこれは堀の跡?名残か?と地図を見ながら遺構を探し歩いたのですが
資料も少なく素人の目では確信ある遺構を探すことは出来なかったのですが、
沢山の妄想をしながら堀の跡を追い求めて歩きました。


平成28年10月30日 登城