むぎの城さんぽ

日本100名城&続日本100名城を巡っています。
近頃は山城歩きもエンジョイしてます!

天神山城(福島県)

2022年06月24日 | 百名城以外の城
天神山城てんじんやまじょう
別名
構造平山城
築城者不明
築城年代戦国時代末期
指定史跡
場所福島県双葉郡楢葉町北田天神 地図

天神山城は、岩城氏と相馬氏との間で激しい戦闘が行われた境目の地域に築かれた城館です。
木戸川の急崖と太平洋の急崖の自然の要害を利用し、守りを強固にしています。
築城時期は不明ながら縄張りの特徴から戦国時代末期と思われ、
楢葉城と連動させるために築かれたのではと考えられ、当時楢葉城を預かっていた
猪狩氏による築城も考えられますが定かではありません。



北田天満宮

北田天満宮のあるこの場所が主郭となります。


虎口

これより先が二の郭になります。


案内看板

二の郭に入ってすぐに看板があるので、ここで縄張図の確認をしました。
外郭まで合わせると、かなりの広さがあります。


二ノ郭

しっかり土塁で四方を囲んでいます。
奥の方に土塁の切れ目が見ますが、そこから三の郭と通じているようです。





空堀

土塁とセットで堀を築いて各郭を仕切っています。


三ノ郭

こちらも四方を土塁で囲んでいます。



背後の土塁は横矢が掛けられる仕組みになっています。
案内看板の隣には放射線モニタリングポストが設置されているのには、
原発問題を身近に感じさせられました。


喰い違い虎口

大手口と外郭を横断する道があります。
外郭側の出入口は土塁が左右ズレて築かれているのがわかります。


天神原遺跡

城址の隣にあるので、ついでに見学して来ました。
弥生時代中期の集団墓地で、一万年以上前からこの地域に生活していた様子が発掘調査から判明しています。
周囲からは旧石器や土器棺(楕円に見える場所)など発掘されており、東日本最大の遺跡とされています。


宇宙桜

2008年にスペースシャトルで国際宇宙ステーションに運ばれた種で、
山梨県北杜市の神代桜の種子(全部で118粒)が国際宇宙ステーション「きぼう」にて
約8ヶ月間無重力の中で過ごした後地球に戻り、その種子を全て植えたうちの2粒が発芽し、
宇宙桜2世が2017年東日本大震災からの復興を記念して北杜市から楢葉町に贈られ植えられた桜です。



近くには火力発電所が見えます。
※原発ではありません(^^;



断崖絶壁で自然の要害になっています。
荒波で少しずつ削られていて浸食されているようです。


展望台

こうしてみるとスポーツ公園もあって、公園として、とてもいい場所です。
海を見ながら家族で遊びに来たいところです。


第二原発から直線にして5kmほどしか離れていません。
まだまだ東日本大震災の爪痕をあちこちで目の当たりにすることになるのですが
観光に適した所や行って見たい城址もいっぱいあるので徐々に訪れてみたいです。


令和3年10月31日登城


今回の参考本



大桑城(愛知県)

2022年06月22日 | 百名城以外の城
大桑城おおくわじょう
別名
構造山城
築城者河合弥十郎
築城年代1571年(元亀2年)
指定史跡市指定史跡
場所愛知県豊田市大桑町 地図

大桑城は、大桑村一帯を治めていた豪族である河合弥十郎が築いた城と伝わります。
この城をめぐる戦が多く、織田、徳川、今川、武田と三河では勢力争いが激しくなる中
1575年(天正3年)武田勢率いる軍が足助城・大沼城・田城城など、周辺の城を
次々と攻め落とし、この時作手方面の要所として大桑城を抑える為にこの城も
武田軍に攻め落とされてしまったものと思われます。



駐車場

巴ヶ丘小学校の裏の登城口には一般登城者向けに駐車場が設けられています。


登城口

ここから登って行くのですが、奇麗な遊歩道になっています。


案内看板

そして、登り口には案内看板が設置されています。



①の看板は大桑城です。
他の城跡にもこの看板が設置されているようです。
ちなみにこの後訪れた羽布城に②の看板が設置されています。



巴ケ丘小学校の建設とともに、地域の歴史学習の森として2005年に大桑城も整備されました。
小学生は学校から直接城址へ行くことが出来、一般向けに県道から城址へと行ける
この道が整備されました。



道には案内の矢印看板があるので、それに従って進んで行けば
迷うことなくすんなりと本丸まで行けますが、
この先の景色はだんだんと自然になって来ます。。。



夏場になると、まあこんなもんでしょう。



土塁につけられた階段。
藪ではないので良しとしましょう。



階段を登りきると、土塁上を左右に歩くことが出来ます。
主郭へ行くには左手に進みます。


案内看板

案内看板が見えて来ました!


縄張図

案内看板にある縄張図。
これを見ても単純構造ながら、土の城ならではの要点は押さえられています。


虎口と土橋

左右は立派な堀のようですが…この時期よく見えないのは仕方あるまい。
しかし、土橋がしっかり残っているので堀の様子も窺い知れます。
虎口にも両脇に土塁が残っています。


主郭

おにぎり型と言われる三角形の主郭です。


石仏と石祠

主郭以外に主立った郭はみつからず、単純な構造になっています。


土塁

一番はっきりと確認出来る土塁は虎口の両脇部分の土塁です。
横矢が掛けられる構造で攻撃に適した門もあった可能性があります。







次は羽布城へ。
また土橋を渡って帰りましょう。


この辺りはラリー(モータースポーツ)でお世話になっている地域で、
ここを訪れるたびに気になって仕方ない城址のひとつでした。
とにかくラリーコースを1周するだけでいくつも城址が目に留まってしまい、居ても立ってもいられない。

ので、今回は遠隔操作にて足軽(旦那)に調査依頼しました。( ̄▽ ̄)


令和4年6月19日登城


今回の参考本



勝間田城(静岡県)

2022年06月19日 | 百名城以外の城
勝間田城かつまたじょう
別名
構造山城
築城者勝間田氏
築城年代15世紀中頃
指定史跡県指定史跡
場所静岡県牧之原市勝田2160ー1 地図

勝間田城は、牧之原市にある勝間田川流域の勝間田荘を治めていた一族で、
今川氏と対立の関係にありました。
1476年(文明8年)横地氏と共に今川義忠に対抗しましたが、
勝間田城、横地城共に落城してしまいました。
勝間田氏は、後に甲斐の武田氏に仕えています。



駐車場

麓にある駐車場。
ここから舗装された道路を歩いて登ります。(上には駐車場がありません)



駐車場向いの小屋には案内看板とパンフレット、御城印の案内が掲げられています。
ここでまずパンフレットを入手して概要図を見ながらスタート!



出郭手前で車両通行止めが置いてありました。
が、目の前を1台の軽トラが通行止めの看板を横にどけて、城の中へ入って行きました。
きっと地元方が整備に来られたのであろう。


出曲輪(的場)

出曲輪跡は茶畑になっています。
静岡らしい風景です。


城址碑

三の曲輪の下までやって来ました。
ここから真っすぐに伸びる歩きやすい道と、左手の土塁をよじ登る道とがあります。
土塁を這いあがるか…いや、素直に目の前の楽な道を行くとしよう。


三の曲輪

三の曲輪は勝間田城の中では最も広い曲輪となります。


馬洗場

水が湧いているのか馬洗場らしく水が溜まっています。
井戸や木簡が出土しているということから、戦国時代以前からの古い営みがあったと考えられます。


西三の曲輪建物跡

三の曲輪の西側には、火災にあったと思われる建物跡が確認されています。
城の中で生活していたことが伺えます。


二の曲輪

二の曲輪も道を挟んで東西にかなり広いです。



居住空間を麓ではなく、山の上に置いているのが特徴的で印象深い。



ここには礎石を利用した礎石建物跡が復元されています。



1棟の規模は平均2間×3間、これが曲輪内に11棟もあったということを想像すると
二の曲輪、三の曲輪の広さがかなりのものだということが分かります。



目の前の大堀切を横目に先へと進みます。
この地点から見ると、左手の台地の方が本曲輪っぽく見えるのですが、右手の台地が本曲輪です。
ここから見上げると本曲輪が二つ、以下の曲輪も東西に分けられるような構造になっているので
一城別郭の構造にも見えます。


堀切

この堀切より先が重要な場所となります。


本曲輪

本曲輪登り口に勝間田長清の歌碑があります。
勝間田長清は、鎌倉時代後期に歌人として名を残しています。



こじんまりとした小規模な曲輪です。


土塁

本曲輪を守る約2mの土塁。
土塁の向こう側は堀切になっています。


堀切

南尾根方面に道をいくつかの堀切で切って侵入を防いでいます。
正面の小高い場所が南尾根曲輪なので登って見ましょう。


南尾根曲輪

西側に対して土塁を構築。


東尾根曲輪

東側へ延びる尾根で、見晴らしも良い位置にありながら
連続に掘り込んだ堀切で守り堅固に作り込まれた曲輪です。



ここでは、柵に囲まれた物見台が発見されています。
高さもあって、下から見た時には最初はこちらが本曲輪かと思いました。


連続堀切

尾根を5つに切り込んだ5重堀が見事です。
ここからでは全部を見渡すことは出来ないのですが、なかなか見応えのある景色です。


二の曲輪・三の曲輪

二の曲輪、三の曲輪を見下ろせる眺めの良い曲輪です。
晴れていればこの方向に富士山が望めるはずなのですが…見えないですね。


本丸

東尾根曲輪から見た本丸です。
ここから本丸全体を見渡すことが出来ます。



二の曲輪と三の曲輪を区切る土塁です。
ここは虎口と捉えて良いのか迷う場所で、道を通すために土塁を破壊してしまっているようにも見えるのですが…。
とにかく土塁はとても立派なものです。



駐車場まで戻って来ました。


復元された土塁はメリハリのあり、整備の手が行き届いていて見やすくとても見応えがありました。
車は麓に置くとしても、城址までは舗装路なので歩きやすく観光ついででも
訪れることができます。
但し、興味のないには観光としてはあまり喜ばれないとは思いますが
手軽に行ける山城としてはとてもお勧めの城址だと思います👍


令和4年3月27日登城


今回の参考本



柏の城(埼玉県)

2022年06月14日 | 百名城以外の城
柏の城かしわのしろ
別名柏城・志木館・引又館
構造平山城
築城者大石顕重
築城年代1590年(天正18年)
指定史跡
場所埼玉県志木市柏町3 地図

柏の城は、関東管領山内上杉家の重臣である大石氏一族の居城と伝わります。
また、このあたりは在原業平の御座所として設けられた館の跡地とも伝えられています。
現在ある小学校の敷地が本丸と二の曲輪跡で、長勝院のある場所が西の曲輪、南側に三の丸、
その外側に大堀、大手と構築されていました。



本丸跡

奥に見える小学校、手前が二の曲輪、その奥の校地中央あたりが本丸となります。



市道を挟んで小学校の向い側が三の曲輪になっています。
大堀跡の看板があったので、そちらに行って見たいと思います。


三の曲輪

三の曲輪の中に通り抜け?の小道があります。
見ていると、結構この小道の利用者多いです。


案内看板

小道を進むと大堀跡の案内看板がありました。
発掘調査では大手門と思われる跡と大規模の空堀がみつかっているようです。



この道も空堀の位置にあると思われますが、遺構とは言えない状態なので
名残ということで大空堀を想像しながら歩いてみました。



大堀より外側にある祠。
何かありそうな感じがするのですが、老人ホームの敷地内にあるので
近くまで見に行くことは出来ませんでした。


館氷川神社

館氷川神社の由来によると、氷川神社のあたりに柏の城の大手門があったことが記されています。
氷川神社に館が付いているのは、平安時代にこの地を領した
藤原長勝の居館があったことが由来の要です。


拝殿

室町期には柏の城の守護神と崇拝されていました。


城山貝塚

貝塚に城山という名前が付いているので、つい引き寄せられてしまいましたが、
貝塚なので城よりもずっと古い縄文時代のもので、城とは関係が無く、
この辺りの地名から名付けられているだけでした。
とはいえ、縄文人たちの暮らしが判る遺構なので今後も残されるべき遺構ですよね。


大堀の看板と氷川神社にある由来の看板と照らし合わせると、大手門の位置が合いません。
しかし、三の曲輪と大手門跡、大堀は現地発掘調査にてわかったことなので
氷川神社のところにあったという大手門は大堀の看板にある東門の間違いではなかろうかと思う。
とは言え神社仏閣の伝承も間違いではないのかもしれない。
大手門跡に名前が書いてあったわけではないのだろうから、案外大手門だと言った方が別の門の跡かもしれない。
まあ、私ごときの想像話はしても仕方ないのですが。。。ちょっと気になりました。


令和4年2月27日登城



岩国城(山口県)

2022年06月03日 |  百名城
岩国城いわくにじょう
別名横山城
構造山城
築城者吉川広家
築城年代1601年(慶長6年)
指定史跡
場所岩国市横山2-6-51 地図
スタンプ設置場所岩国城受付窓口(ロープウェイ運休日は休館)
城郭検定出題あり

関ヶ原の戦いの後、戦いに敗れた毛利輝元は石高を減らされ国替えとなり、
毛利氏に仕える吉川広家も石高を減らされて月山富田城から岩国に移って来ました。
横山山麓に居館を構え、有事の備えに5年の歳月をかけて山頂にも城を築いています。
しかし、その後たった7年で「一国一城令」により山頂部の城は破壊されてしまいました。
現在は昭和37年に本来の位置から30mずらして復興天守が建設され、
錦帯橋と共に天守を望む景色が定番の撮影スポットとして有名になっています。



錦帯橋

錦帯橋は大正11年3月8日に国の名勝に指定されました。
流されない橋を造りたいという思いから出来た美しいフォルム。


チケット

錦帯橋(往復)・岩国城ロープウエー(往復)・岩国城の3つがセットになった
チケットを1セット970円で購入しました。
ロープウェイだけの料金か?と思うくらいの値段で、だいぶお買い得な気がします。


錦川

とても穏やかな流れで、水もとても奇麗です。
時にこの川が氾濫して橋を流してしまうのですね。


吉川氏屋敷跡

錦帯橋を渡ると、城下には武家屋敷跡や建物があり、城下の武士や武家の居住区としての雰囲気が出ています。
この地は家老として勤めた岩見吉川氏の屋敷跡で、江戸中期頃建てられた長屋が
平成23年まで残っていましたが老朽化が進み解体されました。


香川家長屋門

岩国藩五家老のひとつである香川家の長屋門です。
香川家はこの長屋門のほかに通用門と平時門があり、身分や用件によって使い分けられていました。
香川家はもともと芸州の八木城の城主で、吉川広家が岩国に移封された際に、
当時客分から家老に取り立てられています。



この表門は昭和30年に香川氏から岩国市へ寄贈され、
昭和41年に県の指定文化財に指定されています。


ロープウェイ

ロープウェイを利用して山頂まで一気に登っちゃいます。



赤と青の二種類のロープウェイで、和風な柄がマッチしてます。



天守に向かって進むと、道が二つに分かれています。
左は平たん路 右階段ありの標柱があり、ここでどちらを進むか選択します。
左は観光客向けに道は整備されていて道幅も広く、歩きやすくなっています。
多くの人は左へ行きますが…ここはロープウェイを使った分、少人数派の右を選択。



階段ありの道は山城らしい道で、すぐに石垣も見えて来てテンションが上がります!



石垣の上に塀も見えて来て、いよいよ本丸が近い予感がしてきました。
山城と言えど、道はしっかり整備されているのでやはり観光地気分ではあります。


大手口

大手口の門は冠木門です。


二の丸

公園化されたことで大きく可変しているようです。



いよいよ天守目前です。


入口

入口受付で御城印を購入して、日本100名城のスタンプを押して
早速見学しがら最上階を目指します。


スタンプ設置場

スタンプは受付窓口で声を掛けてお借りします。



ありがたいことに、城内の展示物は撮影OKになっています。
刀剣や鉄砲、槍などの武器や甲冑など展示されています。


土州住秀弘

山内家土佐藩の刀職人の作で、反りが少ないのが特徴。


琵琶



火縄銃

岩国藩には、初代藩主吉川広家が創った岩国藩鉄砲隊があり、
その砲術流派は石田流を後継しています。
また、年に数回錦帯橋畔鵜飼広場で練習の模様が見られるとのことです。
(岩国藩鉄砲隊保存会のHPでご確認下さい)


甲冑



錦帯橋模型

50分の1の縮尺。


版画

白黒のものからカラーのものまで展示されています。
絵になる場所ということですね。



最上階へ到着しました。
展望台になっているのでぐるりと廻って景色を楽しむとしよう。


眺望

蛇行している錦川と、奥の方には瀬戸内海まで望めます。






麓には、先ほど渡って来た錦帯橋が見えます。
観光客が増えて来たのがここから見えて面白い。






下の階より上の階の方が張り出しているのが特徴の南蛮造り。
香川県の高松城と福岡県の小倉城も南蛮造りを採用していました。



北側から見た天守。



東側から見た天守。
錦帯橋側から見えている面がこちらになります。
この天守は錦帯橋との景観を考えて本来の天守があった場所から
見栄えの良い場所へずらして建てられています。


天守台

こちらがもともとあった天守台跡です。
現在の天守の場所より奥まった場所にあるので、確かに錦帯橋と絡めて撮影しようと思うと
天守全体は入らない写真になっていたのかもしれませんね。



この石垣は発掘調査をもとに積み直されたものです。





空堀

本丸と北の丸の間の空堀です。


北の丸

北の丸の一角には、隅に櫓があったとされています。
山麓の居館保護のために築城された頃の石垣が破却を免れ残っています。



井戸を見ながら戻るとしましょう。


大釣井

城内最大の井戸で、抜け道説や武器庫として使用されたという説があります。


イベント広場

ロープウェイのある広場まで戻って来ました。



では、ロープウェイに乗って帰ります。


錦帯橋と岩国城、この風景をこの目で直に見てみたくてずっと楽しみにしていたのですが
やっと念願叶いました。
萩城も見てみたかったので山陰、山陽どちらのルートを選択しようかと迷って、今回は広島城や福山城も
行っておきたかったので岩国城へということになりました。
やっぱり絵になる景色ですよね。とても美しい景色頂きました👍


令和4年5月3日登城


日本100名城に行こう 公式スタンプ帳つき
日本城郭協会
学研プラス



羽州浜街道

2022年06月01日 | 関所・宿場
起点:鼠ヶ関宿

  近世念珠ヶ関址
🍡鼠ヶ関宿(山形県鶴岡市鼠ヶ関)


🍡温海宿(山形県鶴岡市温海)


🍡大山宿(山形県鶴岡市大山)


🍡浜中宿(山形県酒田市浜中)


🍡酒田宿(山形県酒田市)


🍡吹浦宿(山形県飽海郡遊佐町吹浦)


🍡金浦宿(秋田県にかほ市金浦)


🍡本荘宿(秋田県由利本荘市)


🍡亀田宿(秋田県由利本荘市)


🍡久保田宿(秋田県秋田市)


終点: