むぎの城さんぽ

日本100名城&続日本100名城を巡っています。
近頃は山城歩きもエンジョイしてます!

権現山城(神奈川県)

2017年02月28日 | 百名城以外の城
権現山城ごんげんやまじょう
別名
構造平山城
築城者上田蔵人
築城年代室町時代末期
指定史跡
場所神奈川県横浜市神奈川区幸ヶ谷 地図

杉氏家臣上田蔵人が北条早雲に味方して謀反を起こし、権現山に砦を築き、合戦が行なわれた古戦場跡です。


公園入口

線路脇道路からの登り口
歩き始めた小さな子供でも登れそうな段差の小さい階段を登ると幸ヶ谷公園に出ます。



あまり広くないが、小高い眺めの良い公園。


砦跡

上田氏がこの山頂に砦を築いた。


幸ヶ谷公園コミュニティハウス

図書の貸し出しや飲食できるコーナーやいこいの場として利用されているようです。
この日も学生が数人集まって利用していたようです。


石碑

区画整備をした記録の碑のようです。


石碑

戦没者の忠霊碑でしょうか。





割れた石碑



トイレ



案内看板

権現山城はかつては線路を挟んで向かいの青木城と山続きだったんですね。
幕末から明治にかけて線路を造る為に分断されたそうです。



公園入口(東側)



神奈川駅

京急線「神奈川駅」この駅が権現山最寄り駅となります。


神奈川宿歴史の道

神奈川駅前に立てられている看板。
このあたりはかつて「神奈川宿」があった場所で神奈川県の名前の由来になった場所でもあります。


ここまで書いていて思い出したのですが、昨年この地はブラタモリで紹介していたのですね。
戦国時代のことはまったく触れてなかったのですが、権現山近辺の道など
なんだか見たことある風景だなと思っていたのですが、ブラタモリの横浜の回の
録画を見直したらガッテン!でした。


遺構らしきものはほとんど見つからず、明治時代に山も削られてしまっているので
案内看板を読んでかつての戦国時代の戦地であったことを認識するのみの場所でした。
ボール遊びをする人、ベンチで昼寝をする人、コミュニティハウスを利用する学生、
訪れたこの日は、戦があったようには思えないのどかな光景でした。


そしてこの後、私は熱でダウンしてしまった^^;
1週間の入院生活でブログ更新が出来なかったのですがまた今日から頑張ります!



平成29年2月19日登城



藤井関所跡(群馬県)

2017年02月17日 | 関所・宿場
藤井関所ふじいせきしょ
別名西牧関所
街道名姫街道
設置1593年(文禄2年)
廃止明治維新
指定史跡町指定文化財
場所甘楽郡下仁田町大字東野牧 地図

藤井関所は、文禄2年に西牧領の代官である中野七蔵が設置しました。
碓氷峠の関所に比べ、重要視されていなかったのか、西牧領の名主四人が
関所守に任命され、百姓が守っていました。
そのため、姫街道は女も容易に通行できる街道でもありました。



案内看板

国道254号線沿いにある藤井関所跡です。
国道から分かりやすくこの場所に設置されていますが、実際に関所があった場所は
向いにある鏑川沿いの畑の中にありました。
現在その場所には位置を示す案内看板が設置されています。


掲示板

この掲示板は現存で、明治時代に廃止になった際、小坂村役場に引き継がれ
使用されていたものが、地元の方の強い保存希望により下仁田町の指定文化財として
ここに保存されることになりました。


泣き石

掲示板の前にある石は、最後の名主で金井跡右衛門の屋敷にあったもので、
幕史や名主が被疑者を石の上に座らせて取り調べを行ったことから、
この石のことを「泣き石」と呼ばれるようになりました。



平成29年1月29日訪問



城下町・門前町・宿場町がわかる本
外川 淳
日本実業出版社


雉岡城(埼玉県)

2017年02月15日 | 百名城以外の城
雉岡城きじがおかじょう
別名八幡山城
構造平城 
築城者山内上杉氏
築城年代15世紀中期
指定史跡県指定史跡
場所本庄市児玉町八幡山446 地図

山内上杉氏の居城として築かれたが、地形が狭いという理由で上州平井城に移り、家臣に守備をさせいた。
北条氏に攻略され北条の属城となるが豊臣秀吉による小田原攻めの際前田利家によって落城させられた。
その後徳川氏が関東入りすると松平家清が領主となるが三河の吉田城に転封となり廃城となった。



入口

ここには車は2台ほどしか停めることはできません。
トイレが完備されています。


案内看板



南の郭(三の郭)

大手門方面に向って延びる土塁


水飲み場と案内看板



玉雲起翁頌徳碑



馬頭尊

ここでも馬が活躍していたのでしょう。


水堀


東屋



夜泣き石(親子石)

殿様の夕餉に針が入っていたことに怒った奥方が取り調べもしないで側女を
生きたまま井戸に沈めてしまいました。
お腹に赤ちゃんがいたことから城の飲み水や池の水までお乳のように白く濁るようになり、夜になると泣き声が
聞こえてきたそうです。



奥方は仕打ちを後悔し、井戸の中で石になった親子を祀ったという伝説の石である。








角馬出

石垣は当時のものではないのは明らかですが角馬出だったことがわかる形です。



土塁の上に銅像…


銅像

誰?かなあ。上杉さん?夏目さん?松平さん?でも松平氏の時代には戦はなかったかな。


大手門跡

公園の入口と違って大手門はここにあったようです。


土塁

大手門に続く土塁。
この土塁はかつて城を囲うようにあったのではなかろうか。


水道の井戸

この井戸は児玉町の上水道にと大正期に造られた井戸です。
きれいな湧水の水源だったそうですが、水量不足や費用の関係で現在は使われていません。


ほうき郭


石碑



金毘羅神社

金毘羅神社です。



この神社の左側は本丸ですが中学校の敷地内なので行くことはできません。



二の郭内にある神社



現在本丸は児玉中学校、三の丸は県立児玉高等学校になっていてこの日も大勢の学生が部活動に励んでいたので、
カメラを向けることは控えました。



平成29年2月12日登城


関東の名城を歩く 南関東編: 埼玉・千葉・東京・神奈川
峰岸 純夫,齋藤 慎一
吉川弘文館

後閑城(群馬県)

2017年02月08日 | 百名城以外の城
後閑城ごかんじょう
別名
構造山城
築城者依田忠政
築城年代15世紀中頃
指定史跡市指定史跡
場所安中市中後閑 地図

所有者のない未開拓地であったこの地に信州の佐久から移って来た依田忠政が築城し、
以後3代に渡り城主であったが1538年に安中市の「鷹巣城」へ移ったとされる。
その後北条政時が入るものの富岡市の「丹生城」城主である新田景純に落城させられる。
新田景純の子である信純が後閑氏を名乗るようになった。


後閑城祉公園


西第三郭(西の駐車場)

駐車場は西側と東側にあります。


南郭入口

西の駐車場から西から東へ延びる道を入ってくると道から一段上がって南郭があります。


南郭

こじんまりとした物見のような郭には東屋があります。



西の駐車場から南郭、二の丸へと続く道はかつては無かったもので、この公園の整備、管理のために
新たに造られたものです。


二の丸

東屋「色葉亭」があります。公園の休憩所でしょう。
二の丸と本丸の間に現在は道がありますがかつては大堀切になっており、完全に切り離された郭でした。
二の丸に攻め込まれた際本丸に被害が及ばない構造になっていたそうです。


櫓台

ここからは発掘調査で柱跡が発見されたため、周囲より高台にあることもあり
櫓台があったのではないかと考えられています。
ちなみに建物跡は現在ここからしか発見されていません。


厠(トイレ)

二の丸まで行って駐車場へ引き返して来ました。
厠前を通過して、今度は西郭を本丸に向かって攻め上がって行こうと思います。


横矢掛

正面から見える西第二郭のきれいな横矢掛


西第二郭




左に行くと北郭や大堀切に行くことができますが今はひとまず本丸に向かって進みます。


西第一郭

段々になった日当たりのよい郭が続きます。


冠木門
冠木門が見えてきました。
いよいよ本丸です。


本郭

さすがはてっぺん、風が強いです。


百庚申

本丸には寛政9年より12年までの3年間に上原氏、安藤氏、中島氏が発起人となり安中藩や近隣住民に
有志を募り総数128基の庚申塔を建てられました。



沢山の庚申塔が建ち並んでいます。


本丸東屋

本丸の東屋の名前は「花雲亭」。
各東屋には〇〇亭と名付けられています。





立体模型



本丸からの眺め



東郭

桝形になっており、ここから二の丸、南郭方面からの敵への攻撃が出来たと思われる。


北第一堀切


北郭



北第二堀切



北第三堀切

ここの堀切はあまり手が加えられていないような気がします。
この堀切の延長線上の手入れされていない部分の方が
大きくて芝生が植えられてきれいなものより、そのままの遺構っぽくて良い感じ。


北郭東屋

この東屋は「時雨亭」と名付けられています。



東屋はみんな土足厳禁になっています。とはいえ靴を脱いで上がれるほどきれいではない。
靴下が雑巾になってしまいそう…。
でも、一休みするには雰囲気は良いですね。


東の駐車場

東側の駐車場へ廻って来てみました。
こちらは少しじめっとした雰囲気でこの付近には「弁天の隠井戸」と呼ばれる井戸があるそうです。
残念ながらこの日は井戸を見つけることができなかったので画像はありません…。


後閑城祉公園東入口

東郭群から本丸へ攻め上がります。



駐車場から東郭群へのこの道は公園整備の時に造られた道で、築城当時には無かった道です。


とてもきれいに整備、管理されています。
駐車場、トイレも完備されていて東屋もあって眺めも良いのでお弁当を持って散策に訪れると
良い城祉公園になっています。
桜が咲く頃にまた訪れてみたい城址です。


平成29年1月22日登城



神成城(群馬県)

2017年02月03日 | 百名城以外の城
神成城かんなりじょう
別名
構造山城
築城者小幡氏 神成氏
築城年代1590年(天正18年)
指定史跡
場所群馬県富岡市神成 地図

宮崎城の詰城として築かれた城で眺めが良く、物見台や狼煙台が設けられています。
日本一きれいなハイキングコースと称する道で構成されている。
確かに道の落ち葉は箒で掃かれた跡もあり、巡回されている方にも行き会いました。
とても管理されたハイキングコースですが、城の遺構に関してはそこまで
力は入っていないが藪を歩かないのですがすがしい。



神成山ハイキングコース入口

楽な道を選んで富岡西中学校脇からのハイキングコースを通って行ってみました。
ちなみに富岡西中学校も宮崎城跡なのでハイキングコースに入って体育館裏にいくつかの
堀切を見ることが出来ます。


不動さま

お地蔵様や御不動さまに道中の安全をお願いしていざ神成城を目指します。



ハイキングコースは道上の落ち葉を丁寧に掃いてあってとても歩きやすくなっています。すごい!




道中点々とある碑や神様。
歩いた目印にもなります。



私には土橋に見えてしまう^^;尾根伝いの道。


見晴台



見晴台からの眺め



大手口

岩を切って造ったような道。
ここからが城域になるようです。


土塁

岩の道を抜けてすぐに右曲がりに道は折れているのですが、ここには人の手によって造られたような
土盛りがあります。


虎口

定かではないのですがいかにもと言った感じの大きな岩が道の両側にあります。



右上に郭が見えて来ました。
この先に山城に登る際には私も参考にさせていただいている余湖様のホームページを参考にした
散策の記事が貼られた看板が立っています。


三ノ郭



三ノ郭

郭は下の方へ広がっていますがハイキングコースから外れるため
道を掃いて無い状態です。
今回は初めて来てみたのでハイキングコース沿いに歩いてみたいと思います。
ここから下の郭は次回のお楽しみに。



郭らしく土塁も確認出来ます。


二ノ郭

三ノ郭、二ノ郭共に奥に土塁が形成されているのが確認出来ます。



二ノ郭と三ノ郭には絶滅危機植物が植えられているため郭内への立ち入りが禁止されています。
いろいろな植物も植えられていてハイカーが四季折々の景色を楽しめるように
なっているのがこの山の特徴でもあるようです。



この坂を登ると主郭です。


主郭

主郭の中をハイキングコースが横切ります。



主郭にも二ノ郭、三ノ郭同様に西側に土塁があります。


縄張図
郭は北側にY字に分かれていくつもあります。


主郭からの眺め



物見台へ

南に張り出した物見台への道



道は更に南の突き出た先端まで続いています。


物見台

私は、いくつかある物見台の中ではここからの眺めが一番良いのでがないかと思う。


虎口

ここを下り御嶽山の物見台を目指してハイキングコースを進みます。


搦め手

麓にある宇芸神社の方に下る道がどうやら搦め手道のようです。
この先は急な上り坂になります。


御嶽山山頂

急な階段のような道を登りきると御嶽山山頂の物見台に到着します。
これは運動不足には結構きつい。
ハイキングと言っても登山のような勾配ですが、休みながら息を整えて登ります。


物見台

上り坂がきつかったのでベンチで休憩。
眺めも良く正面には群馬サファリパークが見えます。



御嶽山を西側へ下ってみる。


石碑

日の入り間近だったのでここで引き返そうか迷っていると
ハイカーがやって来たのでこの先狼煙台まで行こうかどうか迷っていることを
告げると近いからもうひと山行ってから帰ってきたら?とお勧めされました。
この先の山の頂上には麓の動物病院の先生が造ったミニ博物館があるから
それを見てから帰りなさいとアドバイスいただきました。



登り下りと尾根をひたすら狼煙台(吾妻山)目指して早足で先に進みます。
ここまでで、約1時間。


緊急下山道

吾妻山を登る手前に緊急下山道がありました。
御嶽山、吾妻山に急勾配があり神成山の尾根を歩くと結構時間もかかるので
体調不良や怪我なども想定されこのような道も用意されているのでしょうね。



この登り坂を越えれば山頂です。


狼煙台



旧宇芸神社

現在は麓にある宇芸神社。
かつてはここにあったらしい。


ミニ自然博物館

剥製や瓶詰めなどが展示されています。


吾妻山砦へ

ハイキングコースはさらに西へ続いていますが日も暮れて来たので
今回はここで引き返すことにします。
次回は見逃した郭を中心に家族を連れて散策に来たいと思います。



平成29年1月29日登城


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