もうひとつの部屋

昔の記憶に、もう一度会える場所にしようと思っています。

遥か遠く、優しい声が

2019-06-14 16:44:49 | 出会った人々
母の長年の「お友達」だった方から
小夏が届いたというお礼状を頂きました。

実家を離れて遠くに住む私は
母の入院・手術の際などに顔を合わせるだけで
普段はあまり会うこともなかった方です。

ゆっくり話すことが出来たのも
母の納骨の後、義兄の段取りで
皆で温泉に泊まったときが
初めてだったと思います。

今も、初夏に小夏(柑橘類)を送るとき
絵葉書の遣り取りをするだけという
おつきあいなのですが・・・


50年以上も前、両親が家を建てたときから
ずっとお世話になってきた建築士さんと
確かお見合いで結婚された方。

結婚が決まったとき挨拶に来られたのを
今も覚えています。(私は中学生でした)


その後、いつの頃からか
母は、その方を週1~2回家に招いて
共に過ごすようになったようです。

母が上手だったお習字の練習を一緒にしたり
さまざまな話を聞いたりしたり・・・

その日だけは母もお弁当を用意して
来訪を楽しみにしているのだと
よく電話の際に話してくれました。


そんな日々が何年も続き・・・


やがて、母が歳を取るにつれて
家事をいろいろ手伝って下さるように
なったのだとか。

晩年の母は、その方が
「余って困らないよう、ほんの1人分だけ」
持ってきて下さった手料理で
毎日食事をしていたとも聞きました。


住んでおられる海辺の町から
金沢旧市街の母の家まで
きちんと週2回、何十年も
バスで通って下さったことになります。

兄弟姉妹もない母にとっては
特に30年前に父が亡くなってからは
隣に住む実の娘(姉)夫婦とはまた違った意味で
まさに「家族」だったのだろうと思います。


身内での人間関係の苦労をよく知っている
そういう意味では「苦労人」で、だからこそ
本当に「善い」人・・・

顔を合わせているときの印象からも
私にはそういう風に見えます。

長年の間には、母もその方も
さまざまなことがあって・・・

色々な話をお互いにしたのだと
後で私も聞きました。


なので、例えば姉や私についても
事情をそれなりに知って下さってるらしく
私に対しては、いつも手紙の中で

「自分の娘時代も色々あったし
自分の娘についても、やっぱり
いろんなことがあったので・・・
私に気を遣うことはないんですよ」

「ただ、気持ちを軽くしてノンビリ暮らしましょう。
私はこの先そうしようと思ってるんです」

「ねねさんも、どうぞそうなさって下さいね」と。


いつもそうなのですが
優しい言葉が続く文章を見ていると
強張っていた身体がほぐれていくよう・・・


小夏の前に届くようにと
私が出した絵葉書の文面から
私の今の生活を想像して下さったようで

「ご家族との微笑ましい日常が目に浮かび
とても幸せを感じました」とも。

数字で年齢を書いて下さっていて
私より8歳お姉さん(ご主人はその6歳上)と
初めて知りました。





神サマ・・・


母が毎年「お友達と分けるから」と
楽しみにしていてくれた小夏ですが・・・

母が亡くなってからは
「お友だち」宛てに贈ってよいものか
毎年のように悩み、迷い
それでも母の頃と同じように
宛先だけ変えて送り続けてきました。


なぜここまで悩むのか・・・

母の面倒を長年にわたってみて下さった
私にとっては大変な恩義のある方なのに
「たかが小夏」で、どうしてそこまで
自分が迷い悩むのか・・・

なぜ自分が「余計な」コト
「してくれない方がいいのに」と
誰かが思うようなコトを
しているような気持ちにつきまとわれるのか
自分でも理解に苦しみました。


それが・・・送るようになって6年目の
今回やっと、これでいいんだ・・・と
自分でも思えたのかもしれません。

自分の思っていること、感じていることが
いつもよくワカラナイ私ですが
なぜか本当に安心したのです。

一体何を、そんなに心配していたんだろう
これで良かったのだと。




神サマ・・・ありがとうございました。








(2018年5月12日タイトル)

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