「美しさ」の持つ力を
久々に実感する機会がありました。
鉛筆で、色とりどりの花を描いた
吉村芳生という方の展覧会。
向かい合わせに飾られた
それぞれ壁一面を占める
鉛筆画(2m×7m位)二枚。
一枚は、数多の長い花房を
カーテンのように垂らして
静まりかえる、藤。
向かい合うのは、菜の花の咲く
川の中州を描いて、しかもそれを
上下さかさまに「完成」とした、風景。
その二枚にはさまれるように
部屋の中央に立ってみて
初めてわたしの意識に昇ったこと。
「死と生は、別々には存在しない」
「生」がなければ、「死」はあり得ない。
「死」がなければ、「生」はおそらく意識されない。
敢えて言葉(理屈)で説明すると
そんな風になるけれど
そんなことをしなくても
「死」と「生」は、いつも
同時にそこに存在してるんだと。
二枚の美しい鉛筆画は、そういう空気で
わたしをふうわり包みました。
たくさんの藤の花房。
「その花もつぼみも、ひとつひとつ
東北の大震災で亡くなった方々
ひとりひとりの命だと思って
描いてました」
という画家の言葉が
小さな文字で添えられて。
菜の花と枯れたススキの中州
川面はその影を映しています。
「花は、自分にとっては浄土のよう。
生まれることを繰り返す世界」と。
「人間の主観の入らない方法で
世界を描きたい」
若い頃から、敢えて
徹底した機械的・単純作業で
モノクロの版画や鉛筆画を描いてきた人が
さまざまな経験の後
200色?という色鉛筆を用いて
あれほどの「精神性」(それこそ主観そのもの)を
感じさせる作品にまで昇りつめた…
もしかしたら、そのことの重さが
わたしの心をこれほどまでに
揺さぶったのかもしれません。
絶筆はコスモス畑。
方眼紙のように、ひとコマひとコマ
色鉛筆を塗っていて…
描き手の亡くなった後の部分は
白紙のまま。
最後まで「機械的・単純作業」で
絵を描いておられたこと。
人生を通じての膨大な仕事量
その根気、思いの強さにも
圧倒された時間でした。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます